とお譏《そし》り申し上げてはいたが、さすがに藤花の御宴に心が惹《ひ》かれて参列していて、心の中では腹をたてていた。燭を手にして歌を文台の所へ置きに来る人は皆得意顔に見えたが、こんな場合の歌は型にはまった古くさいものが多いに違いないのであるから、わざわざ調べて書こうと筆者はしなかった。上流の人とても佳作が成るわけではないが、しるしだけに一、二を聞いて書いておく。次のは右大将が庭へ下《お》りて藤《ふじ》の花を折って来た時に、帝へ申し上げた歌だそうである。
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すべらぎのかざしに折ると藤の花及ばぬ枝に袖かけてけり
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したり顔なのに少々反感が起こるではないか。
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よろづ代をかけてにほはん花なれば今日《けふ》をも飽かぬ色とこそ見れ
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これは御製である。まただれかの作、
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君がため折れるかざしは紫の雲に劣らぬ花のけしきか
世の常の色とも見えず雲井まで立ちのぼりける藤波の花
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あとのは腹をたてていた大納言の歌らしく思われる。どの歌にも筆者の聞きそこねがあってまちがったところがあるかもしれない。だいたいこんなふうの歌で、感激させられるところの少ないもののようであった。
夜がふけるにしたがって音楽は佳境にはいっていった。薫が「あなたふと」を歌った声が限りもなくよかった。按察使も昔はすぐれた声を持った人であったから、今もりっぱに合わせて歌った。左大臣の七男が童《わらわ》の姿で笙《しょう》の笛を吹いたのが珍しくおもしろかったので帝から御衣を賜わった。大臣は階下で舞踏の礼をした。もう夜明け近くなってから帝は常の御殿へお帰りになった。纏頭《てんとう》は高級官人と皇子がたへは帝から、殿上役人と楽人たちへは姫宮のほうから品々に等差をつけてお出しになった。
その翌晩薫は姫宮を自邸へお迎えして行ったのであった。儀式は派手《はで》なものであった。女官たちはほとんど皆お送りに来た。庇《ひさし》の御車に宮は召され、庇のない糸毛車《いとげのくるま》が三つ、黄金《こがね》作りの檳榔毛車《びろうげのくるま》が六つ、ただの檳榔毛車が二十、網代《あじろ》車が二つお供をした。女房三十人、童女と下仕えが八人ずつ侍していたのであるが、また大将家からも儀装車十二に自邸の女房を載せて迎えに出した。お送りの高級役人、殿上人、六位の蔵人《くろうど》などに皆|華奢《かしゃ》な服装をさせておありになった。
こうしてお迎えした女二の宮を、薫は妻として心安く観察するようになったが、宮はお美しかった。小柄で上品に落ち着いて、どこという欠点もお持ちにならないのを知って、自分の宿命というものも悪くはないようであると喜んだとはいうものの、それで過去の悲しい恋の傷がいやされたのでは少しもなかった。今もどんな時にも紛れる方もなく昔ばかりが恋しく思われる薫であったから、自分としては生きているうちにそれに対する慰めは得られないに違いない、仏になってはじめて、恨めしい因縁は何の報いであるということが判然することにより忘られることにもなろうと思い、寺の建築のことにばかり心が行くのであった。
賀茂《かも》の祭りなどがあって、世間の騒がしいころも過ぎた二十幾日に薫はまた宇治へ行った。建造中の御堂を見て、これからすべきことを命じてから、古山荘を訪《たず》ねずに行くのは心残りに思われて、そのほうへ車をやっている時、女車で、あまりたいそうなのではないが一つ、荒々しい東国男の腰に武器を携えた侍がおおぜい付き、下僕の数もおおぜいで、不安のなさそうな旅の一行が橋を渡って来るのが見えた。田舎《いなか》風な連中であると見ながら下《お》りて、大将は山荘の内にはいり、前駆の者などがまだ門の所で騒がしくしている時に見ると、宇治橋を来た一行もこの山荘をさして来るものらしかった。随身《ずいじん》たちががやがやというのを薫《かおる》は制して、だれかとあとから来る一行を尋ねさせてみると、妙ななまり声で、
「前|常陸守《ひたちのかみ》様のお嬢様が初瀬《はせ》のお寺へお詣《まい》りになっての帰りです。行く時もここへお泊まりになったのです」
と答えたのを聞いて、薫はそれであった、話に聞いた人であったと思い出して、従者たちは見えない所へ隠すようにして入れ、
「早くお車を入れなさい。もう一人ここへ客に来ている人はありますが、心安い方で隠れたお座敷のほうにおられますから」
とあとの人々へ言わせた。薫の供の人々も皆|狩衣《かりぎぬ》姿などで目にたたぬようにはしているが、やはり貴族に使われている人と見えるのか、はばかって皆馬などを後ろへ退《すさ》らせてかしこまっていた。
車は入れて廊の西の端へ着けた。改造後の寝殿はまだできたばかりで御簾《みす》も皆は掛けてない。格子が皆おろしてある中の二間の間の襖子《からかみ》の穴から薫はのぞいていた。堅い上着が音をたてるのでそれは脱いで、直衣《のうし》と指貫《さしぬき》だけの姿になっていた。車の人はすぐにもおりて来ない、弁の尼の所へ人をやって、りっぱな客の来ていられる様子であるがどなたかというようなことを聞いているらしい。薫は車の主を問わせた時から山荘の人々に、自分が来ているとは決して言うなと口どめをまずしておいたので皆心得ていて、
「早くお降りなさいまし。お客様はおいでになりますが別のお座敷においでになります」
と言わせた。
若い女房が一人車からおりて主人のために簾《すだれ》を掲げていた。警固の物々しい騎士たちに比べてこの女房は物馴《ものな》れた都風をしていた。年の行った女房がもう一人降りて来て、
「お早く」
と言う。
「何だか晴れがましい気がして」
と言う声はほのかであったが品よく聞こえた。
「またそれをおっしゃいます。こちらはこの前もお座敷が皆しまっていたではございませんか。あすこに人が見ねばどこに見る人がございましょう」
と女房はわかったふうなことを言う。恥ずかしそうにおりて来る人を見ると、その頭の形、全体のほっそりとした姿は薫に昔の人を思い出させるものであろうと思われた。扇をいっぱいに拡《ひろ》げて隠していて顔の見られないために薫は胸騒ぎを覚えた。車の床は高く、降りる所は低いのであったが、二人の女房はやすやすと出て来たにもかかわらず、苦しそうに下をながめて長くかかっておりた人は家の中へいざり入った。紅紫の袿《うちぎ》に撫子《なでしこ》色らしい細長を着、淡緑《うすみどり》の小袿を着ていた。向こうの室は薫ののぞく襖子《からかみ》の向こうに四尺の几帳《きちょう》は立てられてあるが、それよりも穴のほうが高い所にあるためすべてがこちらから見えるのである。この隣室をまだ令嬢は気がかりに思うふうで、あちら向きになって身を横たえていた。
「ほんとうにお気の毒でございました。泉河《いずみがわ》の渡しも今日は恐ろしゅうございましたね。二月の時には水が少なかったせいかよろしかったのでございます」
「なあに、あなた、東国の道中を思えばこわい所などこの辺にはあるものですか」
実際女房は二人とも苦しい気もなくこんなことを言い合っているが、主人は何も言わずにひれ伏していた。袖から見える腕《かいな》の美しさなども常陸《ひたち》さんなどと言われる者の家族とは見えず貴女《きじょ》らしい。薫は腰の痛くなるまで立ちすくんでいるのだったが、人のいるとは知らすまいとしてなおじっと動かずに見ていると、若いほうの女房が、
「まあよいにおいがしますこと、尼さんがたいていらっしゃるのでしょうか」
と驚いてみせた。老いたほうのも、
「ほんとうにいい香ね。京の人は何といっても風流なものですね。ここほどけっこうな所はないと御主人様は思召《おぼしめ》すふうでしたが、東国ではこんな薫香《くんこう》を合わせてお作りになることはできませんでしたね。尼さんはこうした簡単な暮らしをしていらっしゃってもよいものを着ていらっしゃいますわね、鈍《にび》色だって青色だって特別によく染まった物を使っていらっしゃるではありませんか」
と言ってほめていた。向こうのほうの縁側から童女が来て、
「お湯でも召し上がりますように」
と言い、折敷《おしき》に載せた物をいろいろ運び入れた。菓子を近くへ持って来て、
「ちょっと申し上げます。こんな物を召し上がりません」
と令嬢を起こしているが、その人は聞き入れない。それで二人だけで栗《くり》などをほろほろと音をさせて食べ始めたのも、薫には見|馴《な》れぬことであったから眉《まゆ》がひそめられ、しばらく襖子の所を退《の》いて見たものの、心を惹《ひ》くものがあってもとの所へ来て隣の隙見《すきみ》を続けた。こうした階級より上の若い女を、中宮《ちゅうぐう》の御殿をはじめとしてそこここで顔の美しいもの、上品なものを多く知っているはずの薫には、格別すぐれた人でなければ目にも心にもとどまらないために、人からあまりに美の観照点が違い過ぎるとまで非難されるほどであって、今目の前にいるのは何のすぐれたところもある人と見えないのであるが、おさえがたい好奇心のわき上がるのも不思議であった。尼君は薫のほうへも挨拶《あいさつ》を取り次がせてよこしたのであるが、御気分が悪いとお言いになって、しばらく休息をしておいでになると、従者がしかるべく断わっていたので、この姫君を得たいように言っておいでになったのであるから、こうした機会に交際を始めようとして、夜を待つために一室にこもっているのであろうと解釈して、こうしてその人が隣室をのぞいているとも知らず、いつもの薫の領地の支配者らが機嫌《きげん》伺いに来て重詰めや料理を届けたのを、東国の一行の従者などにも出すことにし、いろいろと上手《じょうず》に計らっておいてから、姿を改めて隣室へ現われて来た。先刻ほめられていたとおりに身ぎれいにしていて、顔も気品があってよかった。
「昨日お着きになるかとお待ちしていたのですが、どうなすって今日もこんなにお着きがおそくなったのでしょう」
こんなことを弁の尼が言うと、老いたほうの女が、
「お苦しい御様子ばかりが見えますものですから、昨日は泉河のそばで泊まることにしまして、今朝《けさ》も御無理なように見えましたから、そこをゆるりと立つことにしたものですから」
姫君を呼び起こしたために、その時やっとその人は起きてすわった。尼君に恥じて身体《からだ》をそばめている側面の顔が薫の所からよく見える。上品な眸《め》つき、髪のぐあいが大姫君の顔も細かによくは見なかった薫であったが、これを見るにつけてただこのとおりであったと思い出され、例のように涙がこぼれた。弁の尼が何か言うことに返辞をする声はほのかではあるが中の君にもまたよく似ていた。心の惹《ひ》かれる人である、こんなに姉たちに似た人の存在を今まで自分は知らずにいたとは迂闊《うかつ》なことであった。これよりも低い身分の人であっても恋しい面影をこんなにまで備えた人であれば自分は愛を感ぜずにはおられない気がするのに、ましてこれは認められなかったというだけで八の宮の御娘ではないかと思ってみると、限りもなくなつかしさうれしさがわいてきた。今すぐにも隣室へはいって行き、「あなたは生きていたではありませんか」と言い、自身の心を慰めたい、蓬莱《ほうらい》へ使いをやってただ証《しるし》の簪《かんざし》だけ得た帝は飽き足らなかったであろう、これは同じ人ではないが、自分の悲しみでうつろになった心をいくぶん補わせることにはなるであろうと薫が思ったというのは宿縁があったものであろう。
尼君はしばらく話していただけであちらへ行ってしまった。女房らの不思議がっていたかおりを自身も嗅《か》いで、薫ののぞいていることを悟ったためによけいなことは何も言わなかったものらしい。
日も暮れていったので、薫も静かに座へもどり、上着を被《き》たりなどして、いつも尼君と話す襖子《からかみ》の口へその人を呼んで姫君のことなど
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