しもの通ひは絶ゆるものかは
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薫はこう言った。恋の心は深いと言われてさえ頼みにならぬものであるのに、上は浅いと認めて言われるのに女は苦痛を覚えなかったはずはない。妻戸を薫はあけて、
「この夜明けの空のよさを思って早く出て見たかったのだ。こんな深い趣を味わおうとしない人の気が知れないね、風流がる男ではないが、夜長を苦しんで明かしたのちの秋の黎明《れいめい》は、この世から未来の世のことまでが思われて身にしむものだ」
こんなことを紛らして言いながら薫は出て行った。女を喜ばそうとして上手《じょうず》なことを多く言わないのであるが、艶《えん》な高雅な風采《ふうさい》を備えた人であるために、冷酷であるなどとはどの相手も思っていないのであった。仮なように作られた初めの関係を、そのままにしたくなくて、せめて近くにいて顔だけでも見ることができればというような考えを持つのか、尼になっておいでになる所にもかかわらず、縁故を捜してこの宮へ女房勤めに出ている人々はそれぞれ身にしむ思いをするものらしく見えた。
兵部卿の宮は式のあったのちの日に新夫人を昼間御覧になることによって、いっそう深い愛をお覚えになった。中くらいな背丈《せたけ》で、全体から受ける感じが清らかな人である。頬《ほお》にかかった髪、頭《かしら》つきはその中でも目だって美しい。皮膚があまりにも白いにおわしい色をした誇らかな気高《けだか》い顔の眸《め》つきはきわめて貴女らしくて、何の欠点もない美人というほかはない。二十一、二であった。少女ではないから完成されぬところもなくて妍麗《けんれい》なる盛りの花と見えた。大事に育てられてきた価値は十分に受けとれた。親の愛でこれを見れば、目もくらむ美女と思われるに違いない。ただ柔らかで愛嬌《あいきょう》があって、可憐《かれん》な点は中の君のよさがお思われになる宮であった。話をされた時にする返辞《へんじ》も羞《は》じらってはいるが、またたよりない気を覚えさせもしない。確かな価値の備わった才女らしい姫君であった。きれいな若い女房が三十人ほど、童女六人が姫君付きで、そうした人の服装なども、きらきらしいものは飽くほど見ておいでになる兵部卿《ひょうぶきょう》の宮だと思い、不思議なほど目だたぬふうに作らせてあった。三条の夫人が生んだ長女を東宮へ奉った時よりも今度の婿迎えを大事に夕霧の大臣は準備したというのも、宮の御声望の高さがさせたことであろう。
それからのちの宮は二条の院へ気安くおいでになることもおできにならなかった。軽い御身分でなかったから、昼間をそちらへ行っておいでになるということもむずかしくて、六条院の中の南の御殿に以前ずっとおいでになったようにしてお住みになり、日が暮れると東御殿を余所《よそ》にしてお出かけになることもおできになれなかったりして、宮が幾日もおいでにならぬことのあるため、こうなることであろうとは思ったが、すぐにも露骨に冷淡なお扱いを受けることになったではないか、賢い人であれば自分の無価値さをよく知って京へまでは出て来なかったはずであったと、今になっては返す返す宇治を離れて来たことが正気をもってしたこととは思えなくて悲しい中の君は、やはりどうともして宇治へ行くことにしたい、ここを捨てて行くふうではなくて、あちらでしばらくでも心を休めたい、反抗的に行なえば人聞きも悪いであろうが、それならばいいはずである、とこの煩悶《はんもん》を一人で背負いきれぬように思い、恥ずかしくは思ったが源中納言に手紙を送った。
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父君の仏事の日のことは阿闍梨《あじゃり》から報告がございましてくわしく知ることができました。あなたのように昔の名残《なごり》を思ってくださいます方がありませんでしたなら、どんなに故人はみじめであったかと思われますにつけても御親切がうれしくばかり思われます。なおこのお礼はお目にかかれます時に自身で申し上げたいと思います。
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という文《ふみ》であった。檀紙の上の字も見栄《みえ》をかまわずまじめな書きぶりがしてあるのであるが、それもまた美しく思われた。八の宮の御忌日に僧を集めて法事を宇治で薫が行なってくれたのに対する礼状なのであって、おおげさに謝意は述べてないが好意は深く認めているらしく思われた。平生はこちらから送る手紙の返事さえ気を置くふうに短くより書いて来ない人が、自身でまた口ずからお礼を申し上げたいと思うというようなことの書かれてあることのうれしさに薫の心はときめいた。宮がお得になったはなやかな生活に心が多くお引かれになって、二条の院へはよくもおいでにならないことについての中の君の煩悶《はんもん》も見えるのが哀れで、恋愛的なものではない手紙であるが、手から放たず何度と
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