ている。こんな時間になっても驚かずしめやかなふうで柱によりかかって、去ろうと薫のしないのに中の君はやや当惑を感じていた。「恋しさの限りだにある世なりせば」(つらきをしひて歎かざらまし)などと低い声で薫は口ずさんでから、
「私はもうしかたもない悲しみの囚《とりこ》になってしまったのです。どこか閑居をする所がほしいのですが、宇治辺に寺というほどのものでなくとも一つの堂を作って、昔の方の人型《ひとがた》(祓《はらい》をして人に代わって川へ流すもの)か肖像を絵に描《か》かせたのかを置いて、そこで仏勤めをしようという気に近ごろなりました」
と言った。
「身にしむお話でございますけれど、人型とお言いになりますので『みたらし川にせし禊《みそぎ》』(恋せじと)というようなことが起こるのではないかという不安も覚えられます。代わりのものは真のものでございませんからよろしくございませんから昔の人に気の毒でございますね。黄金《こがね》を与えなければよくは描《か》いてくれませんような絵師があるかもしれぬと思われます」
こう中の君は言う。
「そうですよ。その絵師というものは決して気に入った肖像を作ってくれないでしょうからね。少し前の時代にその絵から真実の花が降ってきたとかいう伝説の絵師がありますがね、そんな人がいてくれればね」
何を話していても死んだ人を惜しむ心があふれるように見えるのを中の君は哀れにも思い、自身にとって一つの煩わしさにも思われるのであったが、少し御簾《みす》のそばへ寄って行き、
「人型とお言いになりましたことで、偶然私は一つの話を思い出しました」
と言い出した。その様子に常に超《こ》えた親しみの見えるのが薫はうれしくて、
「それはどんなお話でしょう」
こう言いながら几帳の下から中の君の手をとらえた。煩わしい気持ちに中の君はなるのであったが、どうにかしてこの人の恋をやめさせ、安らかにまじわっていきたいと思う心があるため、女房へも知らせぬようにさりげなくしていた。
「長い間そんな人のいますことも私の知りませんでした人が、この夏ごろ遠い国から出てまいりまして、私のここにいますことを聞いて音信《たより》をよこしたのですが、他人とは思いませんものの、はじめて聞いた話を軽率《けいそつ》にそのまま受け入れて親しむこともできぬような気になっておりましたのに、それが先日ここへ逢《あ》
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