ない人にばかり未練を持ち、新しい妻の内親王に愛情を持たないことなどはあまり書くのがお気の毒である。こんな変人を帝が特にお愛しになって、婿にまではあそばされるはずはないのである。公人としての才能が完全なものであったのであろうと見ておくよりしかたがない。
 これほどの幼い人をはばからず見せてくれた夫人の好意もうれしくて、平生以上にこまやかに話をしているうちに日が暮れたため、他で夜の刻をふかしてはならぬ境遇になったことも苦しく思い、薫は歎息を洩《も》らしながら帰って行った。
「なんというよいにおいでしょう。『折りつれば袖《そで》こそにほへ梅の花』というように、鶯《うぐいす》もかぎつけて来るかもしれませんね」
 などと騒いでいる女房もあった。
 夏になると御所から三条の宮は方角|塞《ふさ》がりになるために、四月の朔日《ついたち》の、まだ春と夏の節分の来ない間に女二の宮を薫は自邸へお迎えすることにした。
 その前日に帝は藤壺《ふじつぼ》へおいでになって、藤花《とうか》の宴をあそばされた。南の庇《ひさし》の間の御簾《みす》を上げて御座の椅子《いす》が立てられてあった。これは帝のお催しで宮が御主催になったのではない。高級役人や殿上人の饗膳《きょうぜん》などは内蔵寮《くらりょう》から供えられた。左大臣、按察使《あぜち》大納言、藤《とう》中納言、左兵衛督《さひょうえのかみ》などがまいって、皇子がたでは兵部卿《ひょうぶきょう》の宮、常陸《ひたち》の宮などが侍された。南の庭の藤の花の下に殿上人の席ができてあった。後涼殿の東に楽人たちが召されてあって、日の暮れごろから双調を吹き出し、お座敷の上では姫宮のほうから御遊の楽器が出され、大臣を初めとして人々がそれを御前へ運んだ。六条院が自筆でおしたためになり、三条の尼宮へお与えになった琴の譜二巻を五葉の枝につけて左大臣は持って出、由来を御|披露《ひろう》して奉った。次々に十三|絃《げん》、琵琶《びわ》、和琴《わごん》の名楽器が取り出された。朱雀《すざく》院から伝わった物で薫の所有するものである。笛は柏木《かしわぎ》の大納言が夢に出て伝える人を夕霧へ暗示した形見のもので、非常によい音《ね》の出るものであると六条院がお愛しになったものを、右大将へ贈るのはこの美しい機会以外にないと思い、薫のためにこの人が用意してきたのであるらしい。大臣に和琴、兵部卿の
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