源氏物語
宿り木
紫式部
與謝野晶子訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)大御《おほみ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)御|容貌《ようぼう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ]
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[#地から3字上げ]あふけなく大御《おほみ》むすめをいにしへの人
[#地から3字上げ]に似よとも思ひけるかな (晶子)
そのころ後宮《こうきゅう》で藤壺《ふじつぼ》と言われていたのは亡き左大臣の女《むすめ》の女御《にょご》であった。帝《みかど》がまだ東宮でいらせられた時に、最も初めに上がった人であったから、親しみをお持ちになることは殊に深くて、御愛情はお持ちになるのであったが、それの形になって現われるようなこともなくて歳月《としつき》がたつうちに、中宮《ちゅうぐう》のほうには宮たちも多くおできになって、それぞれごりっぱにおなりあそばされたにもかかわらず、この女御は内親王をお一人お生みすることができただけであった。自分が後宮の競争に失敗する悲しい運命を見たかわりに、この宮を長い将来にかけて唯一の慰安にするまでも完全な幸福のある方にしたいと女御は大事にかしずいていた。御|容貌《ようぼう》もお美しかったから帝も愛しておいでになり、中宮からお生まれになった女一《にょいち》の宮《みや》を、世にたぐいもないほど帝が尊重しておいでになることによって、世間がまた格別な敬意を寄せるという、こうした点は別として、皇女としてはなやかな生活をしておいでになることではあまり劣ることもなくて、女御の父大臣の勢力の大きかった名残《なごり》はまだ家に残り、物質的に不自由のないところから、女二の宮の侍女たちの服装をはじめとし、御殿内を季節季節にしたがって変える装飾もはなやかにして、派手《はで》でそして重厚な貴女らしさを失わぬ用意のあるおかしずきをしていた。宮の十四におなりになる年に裳着《もぎ》の式を行なおうとして、その春から専心に仕度《したく》をして、何事も並み並みに平凡にならぬようにしたいと女御は願っていた。自家の祖先から伝わった宝物類も晴れの式に役だてようと捜し出させて、非常に熱心になっていた女御が、夏ごろから物怪《もののけ》に煩《わずら》い始めてまもなく死んだ。残念に思召《おぼしめ》されて帝《みかど》もお歎
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