された。姫宮に侍している女房たちは匂宮の前へ出るのをことに恥じて皆何かの後ろへはいって隠れているのである。ことにもよるではないか、不快なことを言うものであると思召す姫宮は、何もお言いにならないのであった。この理由から「うらなく物の思はるるかな」と答えた妹の姫も蓮葉《はすは》な気があそばされて好感をお持ちになることができなかった。六条院の紫夫人が宮たちの中で特にこのお二人を手もとでおいつくしみしたのであったから、最も親しいものにして双方で愛しておいでになった。姫宮を中宮は非常にお大事にあそばして、よきが上にもよくおかしずきになるならわしから、侍女なども精選して付けておありになった。少しの欠点でもある女房は恥ずかしくてお仕えができにくいのである。貴族の令嬢が多く女房になっていた。移りやすい心の兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は、そうした中に物新しい感じのされる人を情人にお持ちになりなどして、宇治の人をお忘れになるのではないながらも、逢《あ》いに行こうとはされずに日がたった。
 待つほうの人からいえば、これが長い時間に思われて、やはりこんなふうにして忘られてしまうのかと、心細く物思いばかりがされた。そんなころにちょうど中納言が訪《たず》ねて来た。総角《あげまき》の姫君が病気になったと聞いて見舞いに来たのである。ちょっとしたことにもすぐ影響が現われてくるというほどの病体ではなかったが、姫君はそれに託して対談するのを断わった。
「おしらせを聞くとすぐに、驚いて遠い路《みち》を上がった私なのですから、ぜひ御病床の近くへお通しください」
 と言って、不安でこのままでは帰れぬふうを見せるために、女王の病室の御簾《みす》の前へ座が作られ、薫《かおる》はそこへ行った。困ったことであると姫君は苦しがっていたが、そう冷ややかなふうは見せるのでもなかった。頭を枕《まくら》から上げて返辞などをした。宮が御意志でもなくお寄りにならなかった紅葉《もみじ》の船の日のことを薫は言い、
「気永《きなが》に見ていてください。はらはらとお心をつかってお恨みしたりなさらないように」
 などと教えるようにも言う。
「私は格別愚痴をこぼしたりはいたしませんが、亡《な》くなられました宮様が、御教訓を残してお置きになりましたのは、こうしたこともあらせまい思召しかと思いまして、あの人がかわいそうでございます」
 それに続い
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