あそばすことはよく薫の心にはいった。高僧と言われる人とか、学才のある僧とかは世間に多いがあまりに人間と離れ過ぎた感がして、きつい気のする有名な僧都《そうず》とか、僧正とかいうような人は、また一方では多忙でもあるがために、無愛想《ぶあいそう》なふうを見せて、質問したいことも躊躇《ちゅうちょ》されるものであるし、また人格は低くてただ僧になっているという点にだけ敬意も持てるような人で、下品な、言葉づかいも卑しいのが、玄人《くろうと》らしく馴《な》れた調子で経文の説明を聞かせたりするのは反感が起こることでもあって、昼間は公務のために暇がない薫のような人は、静かな宵《よい》などに、寝室の近くへ招いて話し相手をさせる気になれないものであるが、気高《けだか》い、優美な御|風采《ふうさい》の八の宮の、お言いになるのは同じ道の教えに引用される例なども、平生の生活によき感化をお与えになる親しみの多いものを混ぜたりあそばされることで効果が多いのである。最も深い悟りに達しておられるというのではないが、貴人は直覚でものを見ることが穎敏《えいびん》であるから、学問のある僧の知らぬことも体得しておいでになって、次第
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