てごらんになるとおもしろうございます」
 と進言する従者もあったが、
「そんなことはいやだ。こちらも氷魚《ひお》とか蜉蝣《ひおむし》とかに変わらないはかない人間だからね」
 としりぞけて、多数の人はつれずに身軽に網代車に乗り、作らせてあった平絹の直衣《のうし》指貫《さしぬき》をわざわざ身につけて行った。宮は非常にお喜びになり、この土地特有な料理などを作らせておもてなしになった。日が暮れてからは灯《ひ》を近くへお置きになり、薫といっしょに研究しておいでになった経文の解釈などについて阿闍梨《あじゃり》をも寺からお迎えになって意見をお言わせになったりもした。主客ともに睡《ねむ》ることなしに夜通し宗教を談じているのであるが、荒く吹く河風《かわかぜ》、木の葉の散る音、水の響きなどは、身にしむという程度にはとどまらずに恐怖をさえも与える心細い山荘であった。もう明け方に近いと思われる時刻になって、薫は前の月の霧の夜明けが思い出されるから、話を音楽に移して言った。
「先日霧の濃く降っておりました明け方に、珍しい楽音を、ただ一声と申すほど伺いまして、それきりおやめになって聞かせていただけませんでしたことが残念に思われてなりません」
「色も香も思わない人に私がなってからは音楽のことなどにもうとくなるばかりで皆忘れていますよ」
 宮はこうお言いになりながらも、侍に命じて琴をお取り寄せになった。
「こんなことをするのが不似合いになりましたよ。導いてくださるものがあると、それにひかれて忘れたものも思い出すでしょうから」
 と言って、琵琶をも薫のためにお出させになった。薫はちょっと手に取って、調べてみたが、
「ほのかに承った時のこれが楽器とは思われません。特別な琵琶であるように思いましたのは、やはり弾き手がお違いになるからでございました」
 と言って、熱心に弾こうとはしなかった。
「とんでもない誤解ですよ。あなたの耳にとまるような芸がどこからここへ伝わってくるものですか、誤解ですよ」
 宮はこうお言いになりながら琴をお弾きになるのであったが、それは身にしむ音で、すごい感じがした。庭の松風の伴奏がしからしめるのかもしれない。忘れたというふうにあそばしながら一つの曲の一節だけを弾いて宮はおやめになった。
「私の家では時々鳴ることのある十三絃はちょっとおもしろい手筋のように思われることもありますが、
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