も阿闍梨はできた。この世はただかりそめのものであること、味気ない所であることをさらにこの僧からお教えられになって、
「もう心だけは仏の御弟子《みでし》に変わらないのですが、私には御承知のように年のゆかぬ子供がいることで、この世との縁を切りえずに僧にもなれない」
などと、お思いになることも隔てなく阿闍梨へ宮はお語りになるのだった。この阿闍梨は冷泉院へもお出入りしていて、院へ経などをお教え申し上げる人であった。ある時京へ出たついでに宇治の阿闍梨は院の御所へまいったが、院は例のような仏書をお出しになって質問などをあそばした。その日に阿闍梨が、
「八の宮様は御|聡明《そうめい》で、宗教の学問はよほど深くおできになっております。仏様に何かのお考えがあってこの世へお出しになった方ではございますまいか。悟りきっておいでになる御心境はりっぱな高僧のようにもお見えになります」
こんなお話をした。
「まだ出家はされていないのか。『俗聖《ぞくひじり》』などと若い者たちが名をつけているが、お気の毒な人だ」
と院は言っておいでになった。薫《かおる》の中将もこの時御前にいて、自分も人生をいとわしく思いながらまだ仏勤めもたいしてようせずに、怠りがちなのは遺憾であると心の中で思い、俗ながら高僧の精神で生きるのにはどんな心得がいるのであろうと、八の宮のお噂《うわさ》に耳をとめていた。
「出家のお志は十分にお持ちになるのでございますが、最初は奥様へのお思いやりで躊躇《ちゅうちょ》なされましたし、今日になってはまた哀れな女王《にょおう》がたを残しておかれることで決断がつかないと御自身で仰せになります」
阿闍梨はこう院へ申していた。優美なふうはないが、音楽だけは好きな阿闍梨が、
「八の宮の姫君がたが合奏をなさいます琴や琵琶の音が私の寺へ、宇治川の波音といっしょに聞こえてまいりますのが、非常にけっこうで、極楽の遊びが思われます」
こんな昔風なほめ方をするのに、院の帝《みかど》は微笑をお見せになって、
「そんな聖の家で育てられていては、そうした芸術的な趣味には欠けているかと想像もされるのに珍しいことだね。宮が気がかりにお思いになる人を、順序から言って私のほうがしばらくでも長くこの世におられるとすれば、私へ託してお置きにならないだろうか」
とも仰せられた。院の帝は十の宮でおありになった。朱雀《すざく
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