いきます家を、お通り過ぎにならず、お寄りくださいます御好意を拝見いたしましても、六条院の皆御恩だと昔が思われてなりません」
 などと言っている声に愛嬌《あいきょう》があって、はなやかに美しい顔も想像されるのであった。こんなふうでいられるから、院の陛下は今もこの人がお忘れになれないのであるとそのうち一つの事件をお引き起こしになる可能性もあることを薫は感じた。
「陞任《しょうにん》をたいした喜びとは思っておりませんが、この場合の御|挨拶《あいさつ》にはどこよりも先にと思って上がったのです。通り過ぎるなどというお言葉は平生の怠慢をおしかりになっておっしゃることですか」
 新中納言はこう言うのであった。
「今日のようなおめでたい日に老人の繰り言などはお聞かせすべきでないと御遠慮はされますが、ただの日にお訪《たず》ねくださるお暇はおありにならないのですし、手紙に書いてあげますほどの筋道のあることではないのですから、聞いてくださいませ。院に侍しております人がね、苦しい立場に置かれまして煩悶《はんもん》をばかりしておりましてね。はじめは女一の宮の女御さんを力のように思っていましたし、后の宮様も六条院の御関係で御寛大に御覧くださるだろうと考えていたことですが、今日はどちらも無礼な闖入者《ちんにゅうしゃ》としてお憎みあそばすようでしてね。困りましてね。宮様がただけは院へお置き申して、存在を皆様にきらわれる人だけを、せめて家《うち》で気楽に暮らすようにと思いまして帰らせたのですが、それがまた悪評の種を蒔《ま》くことになったらしゅうございます。院も御|機嫌《きげん》を悪くあそばしたようなお手紙をくださいますのですよ。機会がありましたら、あなたからこちらの気待ちをほのめかしてお取りなしくださいませ。離れようのない関係を双方にお持ちしているのですから、お上げしました初めは、どちらからも御好意を持っていただけるものと頼みにしたものですが、結果はこれでございますもの、私の考えが幼稚であったことばかりを後悔いたしております」
 玉鬘《たまかずら》夫人は歎息《たんそく》をしていた。
「そんなにまで御心配をなさることではないと思います。昔から後宮の人というものは皆そうしたものになっているのですからね、ただ今では御位《みくらい》をお去りになって無事閑散な御境遇でも、後宮にだけは平和の来ることはないのですから、第三者が見れば君寵《くんちょう》に変わりはないと見えることもその人自身にとっては些細《ささい》な差が生じるだけでも恨めしくなるものらしいですよ。つまらぬことに感情を動かすのが女御《にょご》后《きさき》の通弊ですよ。それくらいの故障もないとお思いになって宮廷へお上げになったのですか。御認識不足だったのですね。ものを気におかけにならないで冷静にながめていらっしゃればいいのです。男が出て奏上するような問題ではありませんよ」
 と遠慮なく薫が言うと、
「お逢《あ》いしたら聞いていただこうと思って、あなたをお待ちばかりしていましたのに、私をおたしなめにばかりなるそのあなたの理窟《りくつ》も、私は表面しか御覧にならない理窟だと思いますよ」
 こう言って玉鬘夫人は笑っていた。人の母らしく子のために気をもむらしい様子ではあるが、態度はいたって若々しく娘らしかった。新女御もこんな人なのであろう、宇治の姫君に心の惹《ひ》かれるのも、こうした感じよさをその人も持っているからであると源中納言は思っていた。
 若い尚侍《ないしのかみ》もこのごろは御所から帰って来ていた。そちらもあちらも姫君時代よりも全体の様子の重々しくなった、若い閑暇《ひま》の多い婦人の居所になっていることが思われ、御簾《みす》の中の目を晴れがましく覚えながらも、静かな落ち着きを見せている薫を、夫人は婿にしておいたならと思って見ていた。
 新右大臣の家はすぐ東隣であった。大臣の任官|披露《ひろう》の大|饗宴《きょうえん》に招かれた公達《きんだち》などがそこにはおおぜい集まっていた。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は左大臣家の賭弓《のりゆみ》の二次会、相撲の時の宴会などには出席されたことを思って、第一の貴賓として右大臣は御招待申し上げたのであったが、おいでにならなかった。大臣は秘蔵にしている二女のためにこの宮を婿に擬しているらしいのであるが、どうしたことか宮は御冷淡であった。来賓の中で源中納言の以前よりもいっそうりっぱな青年高官と見える欠点のない容姿に右大臣もその夫人も目をとめた。
 饗宴の張られる隣のにぎやかな物の気配《けはい》、行きちがう車の音、先払いの声々にも昔のことが思い出されて、故太政大臣家の人たちは物哀れな気持ちになっていた。
「兵部卿の宮がお薨《かく》れになって間もなく、今度の右大臣が通い始めたのを、軽佻《けいちょう》なことのように人は非難したものだけれど、愛情が長く変わらず夫婦にまでなったのは、一面から見て感心な人たちと言っていい。だから世の中のことは何を最上の幸福の道とはきめて言えないのだね」
 などと玉鬘《たまかずら》夫人は言っていた。
 左大臣の息子の参議中将が隣に大饗《だいきょう》のあった翌日の夕方ごろにこの家へ訪《たず》ねて来た。院の女御が家に帰っていることでいっそう美しく見える身の作りもして来たのである。
「よい役人にしていただきましたことなどは何とも思われません。心に願ったことのかなわない悲しみは月がたてばたつほど積っていってどうしようもありません」
 と言いながら涙をぬぐう様子でややわざとらしい。二十七、八で、盛りの美貌《びぼう》を持つはなやかな人である。
 帰ったあとで、
「困った公達《きんだち》だね。何でも思いのままになるものと見ていて、官位の問題などは念頭に置いていないようだね。こちらの大臣がお薨《かく》れにならなければ、ここの若い人たちもあの人ら並みに、恋愛の遊戯を夢中になってしただろうにね」
 と言って、玉鬘夫人は歎息《たんそく》をしていた。右兵衛督《うひょうえのかみ》、右大弁で参議にならないため太政官の政務に携わらないのを夫人は愁《うれ》わしがっていた。侍従と言われていた末子は頭《とうの》中将になっていた。年齢からいってだれも官等の陞進《しょうしん》がおそいほうではないのであるが、人におくれると言って歎《なげ》いている。参議の職はいかにも若い高官らしく、ぐあいがいいのだけれど。



底本:「全訳源氏物語 下巻」角川文庫、角川書店
   1972(昭和47)年2月25日改版初版発行
   1995(平成7)年5月30日40版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月10日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2004年3月17日作成
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