へはさんで行かせるのを、少年は親しみたく思う宮であったから、喜んで御所へ急いだ。
 兵部卿の宮が中宮のお宿直《とのい》座敷から御自身の曹司《ぞうし》のほうへ行こうとしていられるところへ按察使《あぜち》大納言家の若君は来た。殿上役人がおおぜいあとからお供して来た中へ混じって来た子供を、宮はお見つけになって、
「昨日《きのう》はなぜ早く退出したの、今日《きょう》はいつごろから来ていた」
 などとお尋ねになった。
「昨日はあまり早く退《さが》りましたのが残念だったものですから、まだ宮様が御所にいらっしゃると人が言うものですから、急いで」
 子供らしくはあるが、若君は親しい調子で申し上げた。
「御所でなくても時々はもっと気楽な家のほうへも遊びに来るがいいよ。若い人がどこからともなくたくさん集まって来る所だよ」
 と宮はお言いになる。この子一人を相手にお話をあそばされるので、他の人たちは遠慮をしてやや遠くへのいていたり、ほかへ行ってしまったりして、静かになった時に、宮が、
「東宮様から少し暇がいただけたのだね、君をおかわいがりになってお放しにならないようだったのに、私の所へ来ている間に御|寵愛《ちょうあい》を人に奪われては恥だろう」
 とおからかいになると、
「あまりおまつわりになるので苦しくてなりませんでした。あなた様は」
 と子供は言いさして黙ってしまったのをまた宮は冗談《じょうだん》にして、
「私を貧弱な無勢力なものだと思って、嫌《きら》いになったって、そうなの。もっともだけれど少しくちおしいね。昔の宮様のお嬢様で、東の姫君という方にね私を愛してくださらないかって、そっとお話ししてくれないか」
 こんなことをお言いだしになったのをきっかけにして、若君は紅梅の枝を差し上げた。
「私の意志を通じたあとでこれがもらえたのならよかったろう」
 とお言いになって、宮は珍重あそばすように、いつまでも花の枝を見ておいでになった。枝ぶりもよく花弁の大きさもすぐれた美しい梅であった。
「色はむろん紅梅がはなやかでよいが、香は白梅に劣るとされているのだが、これは両方とも備わっているね」
 宮がことにお好みになる花であったから、差し上げがいのあるほど大事にあそばすのであった。
「今夜は御所に宿直《とのい》をするのだろう。このまま私の所にいるがいいよ」
 こうお言いになってお放しにならぬために、若君は東宮へ伺うこともできずに兵部卿の宮のお曹司《ぞうし》へ泊まることにした。
 花も羞恥《しゅうち》を感じるであろうと思われるにおいの高い宮のおそば近くに寝《やす》んでいることを、若君は子供心に非常にうれしく思っていた。
「この花の持ち主の方はなぜ東宮へお上がりにならなかったのかね」
「よく存じませんけれど、宮仕えよりも普通の結婚を父母は望んでいるのではございませんでしょうか」
 などと若君はお答えしていた。大納言の希望は自身の娘のほうであることも宮は他から聞き込んでおいでになるのであるが、憧憬《あこがれ》をお持ちになるのは東の女王《にょおう》のほうであったから、花の返事も明瞭《めいりょう》にあそばしたくないお気持ちがあって、翌朝若君の帰る時に、感激のないただ事のようにして、

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花の香に誘はれぬべき身なりせば花のたよりを過ぐさましやは
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 こんな歌をおことづてになるのであった。
「大人《おとな》などには話さないで、そっと女王さんに私の言ったことを取り次ぐのだよ」
 と返す返す宮は仰せられた。若君も東の姉君を他の姉よりも愛しているのであって、かえって他の姉たちは顔も見せるほどにして近づかせ、普通の家の兄弟と変わらないのであるが、重々しい上品さのある女王を、幸福の多い、はなやかな境遇に置いてみたいと常に望んでいるのに、太子の後宮へはいった姉が両親からはなばなしく扱われるのを見て、それも姉なのであるからよいわけであっても、不満足な気がするために、せめてこの宮を東の女王の良人《おっと》にしてみたいと心がけている時に、うれしい花の使いをすることになったのである。
 昨日は大納言から歌をお贈りしたのであるから、まず宮のお返事を若君は父に見せた。
「おじらしになる歌だね。あまりに多情な御生活をされることに感心しないでいることをお聞きになって、左大臣や自分などに対しては慎しみ深くお見せになるのがおかしい。浮気《うわき》男におなりになるのもやむをえないほどきれいに生まれておいでになる方が、まじめ顔をされてはかえってお価値《ねうち》も下がるだろうが」
 などと陰口《かげぐち》をしながら、今日も御所へ出す若君にまた、

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本《もと》つ香の匂《にほ》へる君が袖《そで》なれば花もえならぬ名をや散らさん

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風流狂のようでございますがお許しください。
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 こんなふうな消息をあかずに書いて持たせてあげた。遊びの気分でなくまじめに娘の所へ自分を誘おうとするのであろうかと、さすがに宮は興奮をお感じになった。

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花の香を匂はす宿に尋《と》め行かば色に愛《め》づとや人の咎《とが》めん
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 と、まだ受け入れがたい気持ちを書いてお返しになったのを、大納言は飽き足らず思った。
 真木柱《まきばしら》夫人が帰って来て、御所であった話をした時に、
「若君がいつかお上《かみ》のお宿直をいたしまして、翌朝東宮様へまいりました時に、よい香がついておりましたのを、だれもそんなことを気づかずにおりましたのに東宮様はすぐお悟りになりまして、兵部卿の宮の所へ伺っていたのだろう、だから冷淡にして私の所へは来なかったのだと冗談《じょうだん》をおっしゃいまして、おかしゅうございました。宮様からお手紙でもまいったのでございますか」
 こんなことを良人に問うた。
「そう。梅の花がお好きな方だから、あちらの座敷の前の紅梅が盛りで、あまりきれいだったから折って差し上げたのです。宮のお移り香は実際|馥郁《ふくいく》たるものだね。後宮の方たちだってああも巧妙に焚《た》きしめることはできないらしいがね。源中納言のはそうした人工的の香ではなくて、自身の持っている芳香が高いのですよ。どんなすぐれた前生の因縁で生まれた人なのだろう。同じ花だがどんな根があって高い香の花は咲くのかと思うと梅にも敬意を表したくなるからね。梅は匂宮《におうみや》がお好みになる花にできていますね」
 花の話からもまた兵部卿の宮のことを言う大納言であった。
 東の女王は細かい感情ももう皆備わる妙齢になっているのであるから、匂宮がお寄せになる好意を気づかないのではないが、結婚をして世間並みな生活をすることなどは断念していた。世間もまのあたり勢力のある父の子である方を好都合であるように思うのか、西の姫君のほうへは求婚者が次ぎ次ぎ現われてきて、はなやかな空気もそこでは作られるが、こちらは蔭《かげ》の国のように引っ込んで暮らしている様子を、匂宮はお聞きになって、御自身の趣味にかなった相手とますますお思いになることになり、始終大納言家の若君をお呼び寄せになっては、そっと手紙をおことづてになるのを、大納言はこの宮を二女の婿に擬して、お申し込みさえあればと用意もしていることで夫人は心苦しく思って、
「行き違いになって、そんな気持ちなどをまったく持っていない人のほうへいろいろと好意を寄せた手紙をくだすってもむだなことなのに」
 こんなことを言うことがあった。少しのお返事すらも女王のせぬことでいよいよ宮はおいらだちになって、負けたくないお気持ちも出て、より多く熱の加わった手紙を書いてお送りになるのであった。
 良人《おっと》を失望させてもしかたがない、婿にしてみたい気のする輝かしい未来も予想される方であると思って、夫人は時々どうしようかという気になることもあるのであるが、あまり多情で、恋人を多くお持ちになり、八の宮の姫君にも執心されてたびたび宇治にまでお出かけになることも噂《うわさ》されるのであるから、女王のために頼もしい良人になっていただけるとは思われない、不幸な境遇の娘であるから、もし結婚をさせることになれば万全の縁でなければ人笑われになるばかりであると、だいたいの心はお断わりすることにきめてしまって、御身分柄のもったいなさに、母として夫人が時々お返事を出したりだけはしていた。



底本:「全訳源氏物語 下巻」角川文庫、角川書店
   1972(昭和47)年2月25日改版初版発行
   1995(平成7)年5月30日40版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には2002(平成14)年4月10日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:砂場清隆
2004年3月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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