ひたち》の大守でおありになるが、この方は更衣腹《こういばら》で、思いなしかずっと見劣りがされた。例のことであるが勝負は左ばかりが勝ち続けた。例年よりも早く競技は終わって左右の大将は退出するのであったが、匂宮、常陸の宮、后腹の五の宮を大臣の大将は自身の車へいっしょにお乗せして帰ろうとした。薫は負け方の右中将で、そっと退出して行こうとしていた車を、大臣は、
「宮様がたがおいでになるお送りにおいでにならないか」
 と言ってとどめさせて、子息の衛門督《えもんのかみ》、権《ごん》中納言、右大弁そのほかの高官をそれへ混ぜて乗せさせて六条院へ来た。
 やや遠い路《みち》を来るうちに雪も少し降り出して艶《えん》な気のする黄昏時《たそがれどき》であった。笛などもおもしろく吹き立ててはいって行った。六条院は、ここ以外にはどんな御仏《みほとけ》の国でもこうした日の遊び場所に適した所はないであろうと思われた。寝殿の南の庇《ひさし》の間の端に定例どおり中将が南向いて席につき、北向きに主人の座に対して来会者の親王がた、高官たちの席が作ってあった。酒杯が出て夜がおもしろくなったころに「求子《もとめこ》」が舞われた。
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