っておいでになった。
お気持ちを強くあそばすことができずに悲しみにぼけたところがあるようにみずからお認めになる院はもとの夫人の居間のほうにばかりおいでになった。仏像をお据《す》えになった前に少数の女房だけを侍《はべ》らせて、ゆるやかに仏勤めをあそばす院でおありになった。千年もごいっしょにいたく思召《おぼしめ》した最愛の夫人も死に奪われておしまいにならねばならなかったことがお気の毒である。もうこの世にはなんらの執着も残らぬことを自覚あそばされて、遁世《とんせい》の人とおなりになるお用意ばかりを院はしておいでになるのであるが、人聞きということでまた躊躇《ちゅうちょ》しておいでになるのはよくないことかもしれない。
夫人の法事についても順序立てて人へお命じになることは悲しみに疲れておできにならない院に代わって大将がすべて指図《さしず》をしていた。自分の命も今日が終わりになるのであろうとお考えられになる日も多かったが、結局四十九日の忌《いみ》の明けるのを御覧になることになったかと院は夢のように思召した。中宮《ちゅうぐう》なども紫夫人を忘れる時なく慕っておいでになった。
底本:「全訳源氏
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