霧に知らせて、
「そう申してまいればお恨み言になっていけません。今日は頭が混乱しておりまして間違ってお話し申し上げることがあるかもしれません。それでは宮様のお悲しみもいずれはおあきらめにならなければならないことでございますから、御気分のお落ち着きになりますころにまたおいでくださいまし」
 と言った。その人たちも気を顛倒《てんとう》させている様子を見ては、大将も言いたいことが口から出ない。
「私の心なども暗闇《まっくら》になったように思われるのですから、宮様としてはごもっともです。極力お慰め申し上げて、あなたがたの力で今後少しのお返事でもいただけるように計らってください」
 などと言いおいて、長い立ち話をしていることもさすがに出入りの人の多い今日の山荘では軽々しく見られることであろうとはばかって大将は帰ることにした。今夜のうちに済ませるために納棺その他のことを着々進行させている物音にも、盛大ならぬ葬儀の悲哀が感ぜられて、大将はこの近くにある自家の荘園から侍たちを招いて、いろいろな役を分担して助けることを命じていった。急なことであったから自然簡単で済ませることになった葬儀が、これによって外見をきわめてよくすることができるようになった。大和守《やまとのかみ》も、
「すべて殿様のありがたい御親切のおかげでございます」
 と感謝していた。
 母君を何も残らぬ無にしておしまいになったことで、宮は伏し転《まろ》んで悲しんでおいでになった。親は子にこのかたがたのような片時離れぬ習慣はつけておくべきでないと思い、宮のこの御状態を女房たちはまた歎き合った。大和守が葬儀の跡の始末を皆してから、
「こんなふうになさいまして、まだながく寂しい山荘においでになることは御無理です。いっそうお悲しみが紛れないことになりましょう」
 などと宮へ申し上げるのであったが、宮は母君の煙におなりになった場所にせめて近くいたいと思召《おぼしめ》す心から、このままここへ永住あそばすお考えを持っておいでになった。忌中だけこもっている僧たちは東の座敷からそちらの廊の座敷、下屋《しもや》までを使って、わずかな仕切りをして住んでいた。西の端の座敷を急ごしらえの居間にして宮はおいでになるのである。朝になることも夜になることも宮は忘れておいでになるうちに日がたって九月になった。山おろしが烈《はげ》しくなり、もう葉のない枝は防風林でも皆なくなった。寂しさの身にしむこの季節のことであるから、空の色にも悲しみが誘われて、宮は歎《なげ》きを続けておいでになる。命さえも思うどおりにならぬと悲しんでおいでになるのであった。女房たちも二重三重に悲しみをするばかりである。夕霧からは毎日のようにお見舞いの手紙が送られた。寂しい念仏僧を喜ばせるに足るような物もしばしば贈られた。宮へは真心の見える手紙を次々にお送りして、自分の恋に対して御冷淡である恨みを語るほかには、今も御息所の死を悲しむ真情を言い続けた消息であった。しかも宮はそれらを手に取ってながめようともあそばさないのである。あのいまわしかった事件を、衰弱しきった病体で御息所は確かに悲しみもだえて死んだことをお思いになると、そのことが母君の後世《ごせ》の妨げにもなったような気があそばされて、悲しさが胸に詰まるほどにも思召されるのであるから、大将に触れたことを言うと、その人を恨めしく思召してお泣きになるのを見て、女房たちも手の出しようがないのである。一行のお返事さえ得られないのを、初めの間は悲しみにおぼれておいでになるからであろうと大将は解釈していたが、今に至るも同じことであるのを見ては、どんな悲しみにも際限はあるはずであるのに、今になってもまだ自分の音信《たより》に取り合わぬ態度をお続けになるのはどうしたことであろう、あまりに人情がおわかりにならぬと恨めしがるようになった。関係もないことをただ文学的につづり、花とか蝶《ちょう》とか言っているのであったなら、冷眼に御覧になることもやむをえないことであるが、自身の悲しいことに同情して音信《たより》をする人には、親しみを覚えていただけるわけではないか、祖母の大宮がお亡《かく》れになって、自分が非常に悲しんでいる時に、太政大臣はそれほどにも思わないで、だれも経験しなければならぬ尊親の死であるというふうに見ていて、儀式がかったことだけを派手《はで》に行なって万事|了《おわ》るという様子であったのに、自分は反感を感じたものだし、かえって昔の婿でおありになった六条院が懇切に身を入れてあとの仏事のことなどをいろいろとあそばされたのに感激したものである。これは自分の父であるというだけで思ったことではない、その時に故人の柏木《かしわぎ》が自分は好きになったのである。静かな性質で人情のよくわかる彼は、自分と同じように祖母の宮の死を深く悲しんでいたのに心を惹《ひ》かれたものであった。この宮は何という感受性の乏しいお心なのであろうと、こんなことを毎日思い続けていた。夫人は山荘の宮と大将の関係はどうなっていたのであろう、御息所とは始終手紙の往復をしていたようであるがと腑《ふ》に落ちず思って、夕方空にながめ入って物思いをしている良人《おっと》の所へ、若君に短い手紙を持たせてやった。ちょっとした紙の端なのである。

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哀れをもいかに知りてか慰めん在《あ》るや恋しき無きや悲しき

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どちらだか私にはわからないのですから。
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 夕霧は微笑しながら嫉妬《しっと》が夫人にいろいろなことを言わせるものであると思った。御息所を対象にしていたろうとはあまりにも不似合いな忖度《そんたく》であると思ったのである。すぐに返事を書いたが、それは実際問題を避けた無事なものである。

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何《いづ》れとも分きて眺《なが》めん消えかへる露も草葉の上と見ぬ世に

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人生のことがことごとく悲しい。
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 まだこんなふうに隠しだてをされるのであるかと、人生の悲しみはさしおいて夫人は歎《なげ》いた。



底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:柳沢成雄
2003年5月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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