名誉も物質的のしあわせも珍しいほどの人間ともいってよいが、また一方ではだれよりも多くの悲しみを見て来た人とも言えるのです。母や祖母と早く別れたことに始まって、いろいろな悲しいことが私のまわりにはありましたよ。それが罪業を軽くしたことになって、こうして思いのほか長生きもできるのだと思いますよ。あなたは私とあの別居時代のにがい経験をしてからはもう物思いも煩悶《はんもん》もなかったろうと思われる。お后《きさき》と言われる人、ましてそれ以下の宮廷の人には人との競争意識でみずから苦しまない人はないのですよ。親の家にいるままのようにして今日まで来たあなたのような気楽はだれにもないものなのですよ。この点だけではあなたがだれよりも幸福だったということがわかりますか。思いがけなく姫宮をこちらへお迎えしなければならないことになってからは、少しの不愉快はあるでしょうがね、それによって私の愛はいっそう深まっているのだが、あなたは自身のことだからわかっていないかもしれない。しかし物わかりのいい人だから理解していてくれるかもしれないと頼みにしていますよ」
と院がお言いになると、
「お言葉のように、ほかから見ますれば私としては過分な身の上になっているのですが、心には悲しみばかりがふえてまいります。それを少なくしていただきたいと神仏にはただそれを私は祈っているのですよ」
言いたいことをおさえてこれだけを言った女王に貴女らしい美しさが見えた。
「ほんとうは私はもう長く生きていられない気がしているのでございますよ。この厄年《やくどし》までもまだ知らない顔でこのままでいますことは悪いことと知っています。以前からお願いしていることですから、許していただけましたら尼になります」
とも夫人は言った。
「それはもってのほかのことですよ。あなたが尼になってしまったあとの私の人生はどんなにつまらないものになるだろう。平凡に暮らしてはいるようなものの、あなたと睦《むつ》まじくして生きているということよりよいことはないと私は信じているのです。あなただけをどんなに私が愛しているかということを、これからの長い時間に見ようと思ってください」
院がこうお言いになるのを、またもいつもの慰め言葉で自分の信仰にはいる道をおはばみになると聞いて、夫人の涙ぐんでいるのを院は憐《あわ》れにお思いになって、いろいろな話をし出して紛ら
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