て、華奢《かしゃ》を尽くした女房たちの姿はめざましいものであった。童女は臙脂《えんじ》の色の汗袗《かざみ》に、支那綾《しなあや》の表袴で、袙《あこめ》は山吹《やまぶき》色の支那|錦《にしき》のそろいの姿であった。明石夫人の童女は目だたせないような服装をさせて、紅梅色を着た者が二人、桜の色が二人で、下は皆青色を濃淡にした袙で、これも打ち目のでき上がりのよいものを下につけさせてあった。姫宮のほうでも女御や夫人たちの集まる日であったから、童女の服装はことによくさせてお置きになった。青丹《あおに》の色の服に、柳の色の汗袗《かざみ》で、赤紫の袙《あこめ》などは普通の好みであったが、なんとなく気高《けだか》く感ぜられることは疑いもなかった。縁側に近い座敷の襖子《からかみ》をはずして、貴女たちの席は几帳《きちょう》を隔てにしてあった。中央の室には院の御座《おんざ》が作られてある。今日の拍子合わせの笛の役には子供を呼ぼうとお言いになって、右大臣家の三男で玉鬘《たまかずら》夫人の生んだ上のほうの子が笙《しょう》の役をして、左大将の長男に横笛の役を命じ縁側へ置かれてあった。演奏者の茵《しとね》が皆敷かれて、その席へ院の御秘蔵の楽器が紺錦《こんにしき》の袋などから出されて配られた。明石夫人は琵琶《びわ》、紫の女王には和琴《わごん》、女御は箏《そう》の十三|絃《げん》である。宮はまだ名楽器などはお扱いにくいであろうと、平生弾いておいでになるので調子を院がお弾き試みになったのをお配らせになった。院は、
「箏《そう》の琴《こと》は絃がゆるむわけではないが、他の楽器と合わせる時に琴柱《ことじ》の場所が動きやすいものなのだから、初めからその心得でいなければならないが、女の力では十分締めることがむずかしいであろうから、やはりこれは大将に頼まなければなるまい。それに拍子を受け持っている少年たちもあまり小さくて信用のできない点もあるから」
 とお笑いになりながら、
「大将にこちらへ」
 とお呼び出しになるのを聞いて、夫人たちは恥ずかしく思っていた。明石夫人以外は皆院の御弟子なのであるから、院も大将が聞いて難のないようにとできばえを祈っておいでになった。女御は平生から陛下の前で他の人と合奏も仕|馴《な》れているからだいじょうぶ落ち着いた演奏はできるであろうが、和琴というものはむずかしい物でなく、きまったこ
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