っては完全なものは求めても得がたい、足らぬところを心で補って平凡なものに満足すべきであるという教訓を、多くの経験から得てしまった自分であるから、これをすら妻の一人と見ることができる。第三者は自分のことを好適な配偶を得たと見ることであろうとお考えになると、離れる日もなく見ておいでになった紫の女王《にょおう》の価値が今になってよくおわかりになる気がされて、御自身のお与えになった教育の成功したことをお認めにならずにはおられなかった。ただ一夜別れておいでになる翌朝の心はその人の恋しさに満たされ、しばらくして逢いうる時間がもどかしくお思われになって、院の愛はその人へばかり傾いていった。なぜこんなにまで思うのであろうかと院は御自身をお疑いになるほどであった。
朱雀院はそのうちに御寺《みてら》へお移りになるのであって、このころは御親心のこもったお手紙をたびたび六条院へつかわされた。姫宮のことをお頼みになるお言葉とともに、自分がどう思うかと心にお置きになるようなことはないようにして、ともかくもお心にかけていてくださればよいという意味の仰せがあるのであった。そうは仰せられながらも御幼稚な宮がお気がかりでならぬ御様子が見えるお文《ふみ》であった。紫夫人へもお手紙があった。
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幼い娘が、何を理解することもまだできぬままでそちらへ行っておりますが、邪気のないものとしてお許しになってお世話をおやきください。あなたには縁故がないわけでもないのですから。
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そむきにしこの世に残る心こそ入る山みちの絆《ほだし》なりけれ
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親の心の闇《やみ》を隠そうともしませんでこの手紙を差し上げるのもはばかり多く思われます。
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というのであった。院も御覧になって、
「御同情すべきお手紙ですから、あなたからも丁寧にお返事を書いておあげなさい」
こうお言いになって、そのお使いへは女房を出して酒をお勧めになった。
「どう書いてよろしいのかわかりません。お返事がいたしにくうございます」
と女王は言っていたが、言葉を飾る必要のある場合のお返事でもなかったから、ただ感じただけを、
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そむく世のうしろめたくばさりがたき絆《ほだし》を強《し》ひてかけなはなれそ
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こんな歌にして書いた。女の装束に細長衣《ほそなが》を添えた纏頭《てんとう》をお使いへ出した。女王の書いたお返事の字のりっぱであるのを院は御覧になって、こんなにも物事の整った夫人もある六条院へ、一人の夫人となって幼稚な姫宮が行っておられることを心苦しく思召した。
御出家の際に悲しがった女御《にょご》、更衣《こうい》は院が御寺《みてら》へお移りになることによって、いよいよ散り散りにそれぞれの自邸へ帰るのであったが気の毒な人ばかりであった。尚侍《ないしのかみ》はお崩《かく》れになった皇太后がお住みになった二条の宮へはいって住むことになった。姫宮を心がかりに思召されたのに次いでは尚侍のことを院の帝は顧みがちにされた。
尼になりたい希望を前尚侍は持っていたが、この際それを実行するのは、人を慕って出家をすることで、悟った人のすることでないと院は御忠告をあそばして、ひたすら御自身の御寺の仏像の製作を急がせておいでになった。
六条院はこの朧月夜《おぼろづきよ》の前尚侍と飽かぬ別れをあそばされたまま、今もその時に続いて長い恋をしておいでになり、どんな機会にまた逢《あ》うことができよう、今一度は逢って、その時の血のにじむほど苦しかった心をその人に告げたいと思召されるのであったが、双方とも世間の評のはばかられる身の上でもおありになって、女のためにも重い傷手《いたで》を負わせたあの騒動をお思いになると、積極的な御行動は取れないで院は忍んでおいでになったのであるが、朱雀《すざく》院ともお別れして閑散な独身生活にはいっているそのこと自身がお心を惹《ひ》いて、お逢いになりたくてならないのであった。あるまじいこととはお思いになりながら、ただ友情による手紙と見せて、忘れえぬ熱情をお洩《も》らしになることがたびたびになった。もう青春の男女のように、危険がる必要もないと思っては時々お返事も前尚侍は出した。昔に増してあらゆる点の完成されつつある跡の見える朧月夜の君の手紙がいっそうの魅力になって、昔の中納言の君の所へも、二人の逢う道を開かせようとする手紙を院は常に書いておいでになった。その女の兄である前|和泉守《いずみのかみ》をお呼び寄せになっては、若い日へお帰りになったような相談をされた。
「取り次ぎをもって話をするようなことでなく、そして直接といっても物越しでいいのだが話さねばならぬ用が私にあるのだ。尚侍の承諾
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