きなどをいたすかしれません」
 小侍従は笑いながらこう言うのであった。
「いやなことを言う人ね、おまえは」
 無心なふうにそうお言いになって、宮は小侍従の拡《ひろ》げた手紙をお読みになった。「見ずもあらず見もせぬ人の恋しくてひねもす今日はながめ暮らしつ」という古歌を引いて書いてある所を御覧になった時に、蹴鞠《けまり》の日の御簾《みす》の端の上がっていたことを思い出すことがおできになり、お顔が赤くなった。院が何度も、
「大将に見られないようになさい。あまりにあなたは幼稚にできていらっしゃるから、うっかりとしていてのぞかれることもあるでしょうから」
 こうお誡《いまし》めになったのをお思い出しになり、大将からあの時のことが言われた時、院から自分はどんなにお叱《しか》りを受けることであろうと、手紙の主が見たことなどは問題にもあそばさずに、それを心配あそばしたのは幼いお心の宮様である。平生よりもものをお言いにならず黙っておしまいになったのを見て、小侍従はつぎほのない気がしたし、この上しいて申し上げてよいことでもなかったから、そっと手紙を持って行った。そして忍んで返事を書いた。
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この間はあまりに澄ましておいでになったものですから、軽蔑《けいべつ》をしていらっしゃると思っていたのですが「見ずもあらず」とはどういうことなのでしょう。もったいないことですね。

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今さらに色にな出《い》でそ山桜及ばぬ枝に思ひかけきと

[#ここから1字下げ]
むだなことはおよしなさいませ。
[#ここで字下げ終わり]
 こんな手紙である。



底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
※「この間はあまりに澄ましておいでになったものですから、軽蔑《けいべつ》をしていらっしゃると思っていたのですが「見ずもあらず」とはどういうことなのでしょう。もったいないことですね。」の部分は、手紙の一部であると判断し、他の箇所に合わせて一字下げとしました。
入力:上田英代
校正:門田裕志、小林繁雄
2004年3月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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