かな性質の夫人もこれくらいのことは心の蔭《かげ》では思われたのであった。今になってはもう幸福であることを疑わなかった自分であった。思い上がって暮らした自分が今後はどんな屈辱に甘んじる女にならねばならぬかしれぬと紫の女王は愁《うれ》いながらもおおようにしていた。
 春になった。朱雀《すざく》院では姫宮の六条院へおはいりになる準備がととのった。今までの求婚者たちの失望したことは言うまでもない。帝《みかど》も後宮にお入れになりたい思召《おぼしめ》しを伝えようとしておいでになったが、いよいよ今度のお話の決定したことを聞こし召されておやめになった。六条院はこの春で四十歳におなりになるのであったから、内廷からの賀宴を挙行させるべきであると、帝も春の初めから御心《みこころ》にかけさせられ、世間でも御賀を盛んにしたいと望む人の多いのを、院はお聞きになって、昔から御自身のことでたいそうな式などをすることのおきらいな方だったから話を片端から断わっておいでになった。
 正月の二十三日は子《ね》の日であったが、左大将の夫人から若菜《わかな》の賀をささげたいという申し出があった。少し前まではまったく秘密にして用意されていたことで、六条院が御辞退をあそばされる間がなかったのであった。目だたせないようにはしていたが、左大将家をもってすることであったから、玉鬘《たまかずら》夫人の六条院へ出て来る際の従者の列などはたいしたものであった。南の御殿の西の離れ座敷に賀をお受けになる院のお席が作られたのである。屏風《びょうぶ》も壁代《かべしろ》の幕も皆新しい物で装《しつ》らわれた。形式をたいそうにせず院の御座に椅子《いす》は立てなかった。地敷きの織物が四十枚敷かれ、褥《しとね》、脇息《きょうそく》など今日の式場の装飾は皆左大将家からもたらした物であって、趣味のよさできれいに整えられてあった。螺鈿《らでん》の置き棚《だな》二つへ院のお召し料の衣服箱四つを置いて、夏冬の装束、香壺《こうご》、薬の箱、お硯《すずり》、洗髪器《ゆするつき》、櫛《くし》の具の箱なども皆美術的な作品ばかりが選んであった。御|挿頭《かざし》の台は沈《じん》や紫檀《したん》の最上品が用いられ、飾りの金属も持ち色をいろいろに使い分けてある上品な、そして派手《はで》なものであった。玉鬘夫人は芸術的な才能のある人で、工芸品を院のために新しく作りそ
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