風騒ぎむら雲迷ふ夕べにも忘るるまなく忘られぬ君
[#ここで字下げ終わり]

 という歌の書かれた手紙を、穂の乱れた刈萱《かるかや》に中将はつけていた。女房が、
「交野《かたの》の少将は紙の色と同じ色の花を使ったそうでございますよ」
 と言った。
「そんな風流が私にはできないのですからね。送ってやる人だってまたそんなものなのですからね」
 中将はこうした女房にもあまりなれなれしくさせない溝《みぞ》を作って話していた。品のよい貴公子らしい行為である。中将はもう一通書いてから右馬助《うまのすけ》を呼んで渡すと、美しい童侍《わらわざむらい》や、ものなれた随身の男へさらに右馬助は渡して使いは出て行った。若い女房たちは使いの行く先と手紙の内容とを知りたがっていた。姫君がこちらへ来ると言って、女房たちがにわかに立ち騒いで、几帳《きちょう》の切れを引き直したりなどしていた。昨日から今朝にかけて見た麗人たちと比べて見ようとする気になって、平生はあまり興味を持たないことであったが、妻戸の御簾《みす》へ身体《からだ》を半分入れて几帳の綻《ほころ》びからのぞいた時に、姫君がこの座敷へはいって来るのを見た。女房が前を往《ゆ》き来するので正確には見えない。淡紫の着物を着て、髪はまだ着物の裾《すそ》には達せずに末のほうがわざとひろげたようになっている細い小さい姿が可憐《かれん》に思われた。一昨年ごろまでは稀《まれ》に顔も見たのであるが、そのころよりはまたずっと美しくなったようであると中将は思った。まして妙齢になったならどれほどの美人になるであろうと思われた。さきに中将の見た麗人の二人を桜と山吹にたとえるなら、これは藤《ふじ》の花といってよいようである。高い木にかかって咲いた藤が風になびく美しさはこんなものであると思われた。こうした人たちを見たいだけ見て暮らしたい、継母であり、異母姉妹であれば、それのできないのがかえって不自然なわけであるが、事実はそうした恨めしいものになっていると思うと、まじめなこの人も魂がどこかへあこがれて行ってしまう気がした。
 三条の宮へ行くと宮は静かに仏勤めをしておいでになった。若い美しい女房はここにもいるが、身なりも取りなしも盛りの家の夫人たちに使われている人たちに比べると見劣りがされた。顔だちのよい尼女房の墨染めを着たのなどはかえってこうした場所にふさわしい気がし
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