えて退屈さと寂しさが加わるのであるが、うるさい世の中と隔離した山里に住んでいる気になっていて、源氏の冷淡さをとがめたり恨んだりする気にもなれなかった。物質的の心配はいっさいなかったから、仏勤めをする人は専念に信仰の道に進めるし、文学好きな人はまたその勉強がよくできた。住居《すまい》なども個人個人の趣味と生活にかなった様式に作られてあった。
新年騒ぎの少し静まったころになって源氏は東の院へ来た。末摘花《すえつむはな》の女王《にょおう》は無視しがたい身分を思って、形式的には非常に尊貴な夫人としてよく取り扱っているのである。昔たくさんあった髪も、年々に少なくなって、しかも今は白い筋の多く混じったこの人を、面と向かって見ることが堪えられず気の毒で、源氏はそれをしなかった。柳の色は女が着て感じのよいものでないと思われたが、それはここだけのことで、着手が悪いからである。陰気な黒ずんだ赤の掻練《かいねり》の糊気《のりけ》の強い一かさねの上に、贈られた柳の織物の小袿《こうちぎ》を着ているのが寒そうで気の毒であった。重ねに仕立てさせる服地も贈られたのであるがどうしたのであろう。鼻の色だけは春の霞《かすみ》にもこれは紛れてしまわないだろうと思われるほどの赤いのを見て、源氏は思わず歎息《たんそく》をした。手はわざわざ几帳《きちょう》の切れを丁寧に重ね直した。かえって末摘花は恥ずかしがっていないのである。こうして変わらぬ愛をかける源氏に真心から信頼している様子に同情がされた。こんなことにも常識の不足した点のあるのを、哀れな人であると源氏は思って、自分だけでもこの人を愛してやらねばというふうに考えるところに源氏の善良さがうかがえるのである。話す声なども寒そうに慄《ふる》えていた。
源氏は見かねて言った。
「あなたの着物のことなどをお世話する者がありますか。こんなふうに気楽に暮らしていてよい人というものは、外見はどうでも、何枚でも着物を着重ねているのがいいのですよ。表面だけの体裁よさを作っているのはつまりませんよ」
女王はさすがにおかしそうに笑った。
「醍醐《だいご》の阿闍梨《あじゃり》さんの世話に手がかかりましてね、仕立て物が間に合いませんでした上に、毛皮なども借りられてしまいまして寒いのですよ」
と説明する阿闍梨というのは鼻の非常に赤い兄の僧のことである。あまりに見栄を知らない女であると思いながらも、ここではまじめな一面だけを見せている源氏はなおも注意をする。
「毛皮はお坊様にあげたほうが適当でいいのですよ、そんな物より、白い着物という物は何枚でも重ねて着ていいのですからね。なぜあなたはそうしないのですか。入り用な物も送ってよこすのを私が忘れていれば、遠慮なく言ってよこしてください。もとからぼんやりとした私はまた怠《なま》け者でもあるし、ほかの方たちのこととこんがらがってしまうこともあって、済まない結果にもなるのですよ」
と言って源氏は、隣の二条院のほうの蔵《くら》をあけさせ、絹や綾《あや》を多く紅《くれない》の女王に贈った。荒れた所もないが、男主人の平生住んでいない家は、どことなく寂しい空気のたまっている気がした。前の庭の木立ちだけは春らしく見えて、咲いた紅梅なども賞翫《しょうがん》する人のないのをながめて、
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ふるさとの春の木末にたづねきて世の常ならぬ花を見るかな
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と源氏は独言《ひとりごと》したが、鼻の赤い夫人は何のこととも気づかなかったであろう。
空蝉《うつせみ》の尼君の住んでいる所へ源氏は来た。そこの主人《あるじ》らしくここは住まずに、目だたぬ一室にいて、住居《すまい》の大部分を仏間に取った空蝉が仏勤めに傾倒して暮らす様子も哀れに見えた。経巻の作りよう、仏像の飾り、ちょっとした閼伽《あか》の器具などにも空蝉のよい趣味が見えてなつかしかった。青鈍《あおにび》色の几帳《きちょう》の感じのよい蔭《かげ》にすわっている尼君の袖口《そでぐち》の色だけにはほかの淡い色彩も混じっていた。源氏は涙ぐんでいた。
「松が浦島《うらしま》(松が浦島|今日《けふ》ぞ見るうべ心あるあまも住みけり)だと思って神聖視するのにとどめておかねばならないあなたなのですね。昔から何という悲しい二人でしょう。しかしこうして逢《あ》ってお話しするくらいのことは永久にできるだけの因縁があるのですね」
などと言った。空蝉の尼君も物哀れな様子で、
「ただ今こんなふうに御信頼して暮らさせていただきますことで、私は前生に御縁の深かったことを思っております」
と言う。
「あなたを虐《しいた》げた過去の追憶に苦しんで、おりおり今でも仏にお詫《わ》びを言わねばならないのが私です。しかしおわかりになりましたか、ほかの男は私のように純なものではないということを、あなたはそれからの経験でお知りになっただろうと思う」
継息子《ままむすこ》のよこしまな恋に苦しめられたことを、源氏は聞いていたのであろうと女は恥ずかしく思った。
「こんなにみじめになりました晩年をお見せしておりますことでだれの過去の罪も清算されるはずでございます。これ以上の報いがどこにございましょう」
と言って、空蝉《うつせみ》は泣いてしまった。昔よりも深味のできた品のよい所が見え、過去の恋人で現在の尼君として別世界のものに扱うだけでは満足のできかねる気も源氏はしたが、恋の戯れを言いかけうる相手ではなかった。いろいろな話をしながらも、せめてこれだけの頭のよさがあの人にあればよいのにと末摘花の住居《すまい》のほうがながめられた。こんなふうで源氏の保護を受けている女は多かった。だれの所も洩《も》らさず訪問して、
「長く来られない時もありますが、心のうちでは忘れているのではないのです。ただ生死の別れだけが私たちを引き離すものだと思いますが、その命というものを考えると、実に心細くなりますよ」
などとなつかしい調子で恋人たちを慰めていた。皆ほどほどに源氏は愛していた。女に対して驕慢《きょうまん》な心にもついなりそうな境遇にいる源氏ではあるが、末々の恋人にまで誠意を忘れず持ってくれることに、それらの人々は慰められて年月を送っていた。
今年《ことし》の正月には男踏歌《おとことうか》があった。御所からすぐに朱雀《すざく》院へ行ってその次に六条院へ舞い手はまわって来た。道のりが遠くてそれは夜の明け方になった。月が明るくさして薄雪の積んだ六条院の美しい庭で行なわれる踏歌がおもしろかった。舞や音楽の上手《じょうず》な若い役人の多いころで、笛なども巧みに吹かれた。ことにここでのできばえを皆晴れがましく思っているのである。他の二夫人らにも来て見物することを源氏が勧めてあったので、南の御殿の左右の対や渡殿《わたどの》を席に借りて皆来ていた。東の住居《すまい》の西の対の玉鬘《たまかずら》の姫君は南の寝殿に来て、こちらの姫君に面会した。紫夫人も同じ所にいて几帳《きちょう》だけを隔てて玉鬘と話した。踏歌の組は朱雀《すざく》院で皇太后の宮のほうへ行っても一回舞って来たのであったから、時間がおそくなり、夜も明けてゆくので、饗応《きょうおう》などは簡単に済ますのでないかと思っていたが、普通以上の歓待を六条院では受けることになった。光の強い一月の暁の月夜に雪は次第に降り積んでいった。松風が高い所から吹きおろしてきてすさまじい感じにももう一歩でなりそうな庭にもう折り目もなくなった青色の上着に白襲《しろがさね》を下にしただけの服装に、見ばえのない綿を頭にかぶっている舞い手が出ているだけのことも、所がらかおもしろくて、命も延びるほどに観衆は思った。源氏の子息の中将と内大臣の公子たちが舞い手の中ではことにはなやかに見えた。ほのぼのと東の空が白んでゆく光に、やや大降りに降る雪の影が見えて寒い中で、「竹川」を歌って、右に寄り、左に集まって行く舞い手の姿、若々しいその歌声などは、絵にかいて残すことのできないのが遺憾である。各夫人の見物席には、いずれ劣らぬ美しい色を重ねた女房の袖口《そでぐち》が出ていて、曙《あけぼの》の空に春の花の錦《にしき》を霞《かすみ》が長く一段だけ見せているようで、これがまた見ものであった。舞い人は、「高巾子《こうこじ》」という脱俗的な曲を演じたり、自由な寿詞《じゅし》に滑稽味《こっけいみ》を取り混ぜたりもして、音楽、舞曲としてはたいして価値のないことで役を済ませて、慣例の纏頭《てんとう》である綿を一袋ずつ頭にいただいて帰った。夜がすっかり明けたので、二夫人らは南御殿を去った。源氏はそれからしばらく寝て八時ごろに起きた。
「中将の声は弁《べん》の少将の美音にもあまり劣らなかったようだ、今は不思議に優秀な若者の多い時代なのですね。昔は学問その他の堅実な方面にすぐれた人が多かったろうが、芸術的のことでは近代の人の敵ではないらしく思われる。私は中将などをまじめな役人に仕上げようとする教育方針を取っていて、私自身のまじめでありえなかった名誉を回復させたく思っていたが、やはりそれだけでは完全な人間に成りえないのだから、芸術的な所をなくさせぬようにしなければならないのだと知った。どんな欲望も抑制したまじめ顔がその人の全部であってはいやなものですよ」
などと源氏は夫人に言って、息子をかわいく思うふうが見えた。万春楽《ばんしゅんがく》を口ずさみにしていた源氏は、
「奥さんがたがはじめてこちらへ来た記念に、もう一度集まってもらって、音楽の合奏をして遊びたい気がする。私の家《うち》だけの後宴《ごえん》があるべきだ」
と言って、秘蔵の楽器をそれぞれ袋から出して塵《ちり》を払わせたり、ゆるんだ絃《げん》を締めさせたりなどしていた。夫人たちはそのことをどんなに晴れがましく思ったことであろう。
底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kumi
2003年5月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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