っと出て行くらしい物音を聞くのも若君にはつらく悲しかったから、宮のお居間から、来るようにと、女房を迎えにおよこしになった時にも、眠ったふうをしてみじろぎもしなかった。涙だけがまだ止まらずに一睡もしないで暁になった。霜の白いころに若君は急いで出かけて行った。泣き腫《は》らした目を人に見られることが恥ずかしいのに、宮はきっとそばへ呼ぼうとされるのであろうから、気楽な場所へ行ってしまいたくなったのである。車の中でも若君はしみじみと破れた恋の悲しみを感じるのであったが、空模様もひどく曇って、まだ暗い寂しい夜明けであった。
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霜氷うたて結べる明けぐれの空かきくらし降る涙かな
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こんな歌を思った。
今年源氏は五節《ごせち》の舞い姫を一人出すのであった。たいした仕度《したく》というものではないが、付き添いの童女の衣裳《いしょう》などを日が近づくので用意させていた。東の院の花散里《はなちるさと》夫人は、舞い姫の宮中へはいる夜の、付き添いの女房たちの装束を引き受けて手もとで作らせていた。二条の院では全体にわたっての一通りの衣裳が作られているのである。中宮からも、童女、下仕えの女房幾人かの衣服を、華奢《かしゃ》に作って御寄贈になった。去年は諒闇《りょうあん》で五節のなかったせいもあって、だれも近づいて来る五節に心をおどらせている年であるから、五人の舞い姫を一人ずつ引き受けて出す所々では派手《はで》が競われているという評判であった。按察使《あぜち》大納言の娘、左衛門督《さえもんのかみ》の娘などが出ることになっていた。それから殿上役人の中から一人出す舞い姫には、今は近江守《おうみのかみ》で左中弁を兼ねている良清朝臣《よしきよあそん》の娘がなることになっていた。今年の舞い姫はそのまま続いて女官に採用されることになっていたから、愛嬢を惜しまずに出すのであると言われていた。源氏は自身から出す舞い姫に、摂津守兼左京大夫である惟光《これみつ》の娘で美人だと言われている子を選んだのである。惟光は迷惑がっていたが、
「大納言が妾腹の娘を舞い姫に出す時に、君の大事な娘を出したっても恥ではない」
と責められて、困ってしまった惟光は、女官になる保証のある点がよいからとあきらめてしまって、主命に従うことにしたのである。舞の稽古《けいこ》などは自宅でよく習わせて、舞い姫を直接世話するいわゆるかしずきの幾人だけはその家で選んだのをつけて、初めの日の夕方ごろに二条の院へ送った。なお童女幾人、下《しも》仕え幾人が付き添いに必要なのであるから、二条の院、東の院を通じてすぐれた者を多数の中から選《よ》り出すことになった。皆それ相応に選定される名誉を思って集まって来た。陛下が五節《ごせち》の童女だけを御覧になる日の練習に、縁側を歩かせて見て決めようと源氏はした。落選させてよいような子供もない、それぞれに特色のある美しい顔と姿を持っているのに源氏はかえって困った。
「もう一人分の付き添いの童女を私のほうから出そうかね」
などと笑っていた。結局身の取りなしのよさと、品のよい落ち着きのある者が採られることになった。
大学生の若君は失恋の悲しみに胸が閉じられて、何にも興味が持てないほど心がめいって、書物も読む気のしないほどの気分がいくぶん慰められるかもしれぬと、五節の夜は二条の院に行っていた。風采《ふうさい》がよくて落ち着いた、艶《えん》な姿の少年であったから、若い女房などから憧憬《あこがれ》を持たれていた。夫人のいるほうでは御簾《みす》の前へもあまりすわらせぬように源氏は扱うのである。源氏は自身の経験によって危険がるのか、そういうふうであったから、女房たちすらも若君と親しくする者はいないのであるが、今日は混雑の紛れに室内へもはいって行ったものらしい。車で着いた舞い姫をおろして、妻戸の所の座敷に、屏風《びょうぶ》などで囲いをして、舞い姫の仮の休息所へ入れてあったのを、若君はそっと屏風の後ろからのぞいて見た。苦しそうにして舞い姫はからだを横向きに長くしていた。ちょうど雲井《くもい》の雁《かり》と同じほどの年ごろであった。それよりも少し背が高くて、全体の姿にあざやかな美しさのある点は、その人以上にさえも見えた。暗かったからよくは見えないのであるが、年ごろが同じくらいで恋人の思われる点がうれしくて、恋が移ったわけではないがこれにも関心は持たれた。若君は衣服の褄先《つまさき》を引いて音をさせてみた。思いがけぬことで怪しがる顔を見て、
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「天《あめ》にます豊岡《とよをか》姫の宮人もわが志すしめを忘るな
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『みづがきの』(久しき世より思ひ初《そ》めてき)」
と言ったが、藪《やぶ》から棒ということのようである。若々しく美しい声をしているが、だれであるかを舞い姫は考え当てることもできない。気味悪く思っている時に、顔の化粧を直しに、騒がしく世話役の女が幾人も来たために、若君は残念に思いながらその部屋を立ち去った。浅葱《あさぎ》の袍《ほう》を着て行くことがいやで、若君は御所へ行くこともしなかったが、五節を機会に、好みの色の直衣《のうし》を着て宮中へ出入りすることを若君は許されたので、その夜から御所へも行った。まだ小柄な美少年は、若公達《わかきんだち》らしく御所の中を遊びまわっていた。帝をはじめとしてこの人をお愛しになる方が多く、ほかには類もないような御|恩寵《おんちょう》を若君は身に負っているのであった。
五節の舞い姫がそろって御所へはいる儀式には、どの舞い姫も盛装を凝らしていたが、美しい点では源氏のと、大納言の舞い姫がすぐれていると若い役人たちはほめた。実際二人ともきれいであったが、ゆったりとした美しさはやはり源氏の舞い姫がすぐれていて、大納言のほうのは及ばなかったようである。きれいで、現代的で、五節の舞い姫などというもののようでないつくりにした感じよさがこうほめられるわけであった。例年の舞い姫よりも少し大きくて前から期待されていたのにそむかない五節の舞い姫たちであった。源氏も参内して陪観したが、五節の舞い姫の少女が目にとまった昔を思い出した。辰の日の夕方に大弐《だいに》の五節へ源氏は手紙を書いた。内容が想像されないでもない。
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少女子《をとめご》も神さびぬらし天つ袖《そで》ふるき世の友よはひ経ぬれば
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五節は今日までの年月の長さを思って、物哀れになった心持ちを源氏が昔の自分に書いて告げただけのことである、これだけのことを喜びにしなければならない自分であるということをはかなんだ。
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かけて言はば今日のこととぞ思ほゆる日かげの霜の袖にとけしも
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新嘗祭《にいなめまつり》の小忌《おみ》の青摺《あおず》りを模様にした、この場合にふさわしい紙に、濃淡の混ぜようをおもしろく見せた漢字がちの手紙も、その階級の女には適した感じのよい返事の手紙であった。
若君も特に目だった美しい自家の五節を舞の庭に見て、逢ってものを言う機会を作りたく、楽屋のあたりへ行ってみるのであったが、近い所へ人も寄せないような警戒ぶりであったから、羞恥《しゅうち》心の多い年ごろのこの人は歎息《たんそく》するばかりで、それきりにしてしまった。美貌《びぼう》であったことが忘られなくて、恨めしい人に逢われない心の慰めにはあの人を恋人に得たいと思っていた。
五節の舞い姫は皆とどまって宮中の奉仕をするようとの仰せであったが、いったんは皆退出させて、近江守《おうみのかみ》のは唐崎《からさき》、摂津守の子は浪速《なにわ》で祓《はら》いをさせたいと願って自宅へ帰った。大納言も別の形式で宮仕えに差し上げることを奏上した。左衛門督《さえもんのかみ》は娘でない者を娘として五節に出したということで問題になったが、それも女官に採用されることになった。惟光《これみつ》は典侍《ないしのすけ》の職が一つあいてある補充に娘を採用されたいと申し出た。源氏もその希望どおりに優遇をしてやってもよいという気になっていることを、若君は聞いて残念に思った。自分がこんな少年でなく、六位級に置かれているのでなければ、女官などにはさせないで、父の大臣に乞《こ》うて同棲《どうせい》を黙認してもらうのであるが、現在では不可能なことである。恋しく思う心だけも知らせずに終わるのかと、たいした思いではなかったが、雲井の雁を思って流す涙といっしょに、そのほうの涙のこぼれることもあった。五節の弟で若君にも丁寧に臣礼を取ってくる惟光の子に、ある日逢った若君は平生以上に親しく話してやったあとで言った。
「五節はいつ御所へはいるの」
「今年のうちだということです」
「顔がよかったから私はあの人が好きになった。君は姉さんだから毎日見られるだろうからうらやましいのだが、私にももう一度見せてくれないか」
「そんなこと、私だってよく顔なんか見ることはできませんよ。男の兄弟だからって、あまりそばへ寄せてくれませんのですもの、それだのにあなたなどにお見せすることなど、だめですね」
と言う。
「じゃあ手紙でも持って行ってくれ」
と言って、若君は惟光《これみつ》の子に手紙を渡した。これまでもこんな役をしてはいつも家庭でしかられるのであったがと迷惑に思うのであるが、ぜひ持ってやらせたそうである若君が気の毒で、その子は家へ持って帰った。五節は年よりもませていたのか、若君の手紙をうれしく思った。緑色の薄様《うすよう》の美しい重ね紙に、字はまだ子供らしいが、よい将来のこもった字で感じよく書かれてある。
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日かげにもしるかりけめや少女子《をとめご》が天の羽袖にかけし心は
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姉と弟がこの手紙をいっしょに読んでいる所へ思いがけなく父の惟光大人が出て来た。隠してしまうこともまた恐ろしくてできぬ若い姉弟《きょうだい》であった。
「それは、だれの手紙」
父が手に取るのを見て、姉も弟も赤くなってしまった。
「よくない使いをしたね」
としかられて、逃げて行こうとする子を呼んで、
「だれから頼まれた」
と惟光が言った。
「殿様の若君がぜひっておっしゃるものだから」
と答えるのを聞くと、惟光は今まで怒っていた人のようでもなく、笑顔《えがお》になって、
「何というかわいいいたずらだろう。おまえなどは同い年でまだまったくの子供じゃないか」
とほめた。妻にもその手紙を見せるのであった。
「こうした貴公子に愛してもらえば、ただの女官のお勤めをさせるより私はそのほうへ上げてしまいたいくらいだ。殿様の御性格を見ると恋愛関係をお作りになった以上、御自身のほうから相手をお捨てになることは絶対にないようだ。私も明石《あかし》の入道になるかな」
などと惟光は言っていたが、子供たちは皆立って行ってしまった。
若君は雲井の雁へ手紙を送ることもできなかった。二つの恋をしているが、一つの重いほうのことばかりが心にかかって、時間がたてばたつほど恋しくなって、目の前を去らない面影の主に、もう一度逢うということもできぬかとばかり歎《なげ》かれるのである。祖母の宮のお邸《やしき》へ行くこともわけなしに悲しくてあまり出かけない。その人の住んでいた座敷、幼い時からいっしょに遊んだ部屋などを見ては、胸苦しさのつのるばかりで、家そのものも恨めしくなって、また勉強所にばかり引きこもっていた。源氏は同じ東の院の花散里《はなちるさと》夫人に、母としての若君の世話を頼んだ。
「大宮はお年がお年だから、いつどうおなりになるかしれない。お薨《かく》れになったあとのことを思うと、こうして少年時代から馴《な》らしておいて、あなたの厄介《やっかい》になるのが最もよいと思う」
と源氏は言うのであった。すなおな性質のこの人は、源氏の言葉に絶対の服従をする習慣から、若君を愛して優しく世話をした。若君は養母の夫人の顔をほのかに見る
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