であろうが、それも世間と相いれない偏狭な親の性格などが禍《わざわ》いしているだけで、家柄などは決して悪くはないのであるから、かくあるのが自然であるとも源氏は思っていた。逢っている時が短くて、すぐに帰邸を思わねばならぬことを苦しがって、「夢のわたりの浮き橋か」(うち渡しつつ物をこそ思へ)と源氏は歎かれて、十三絃の出ていたのを引き寄せ、明石の秋の深夜に聞いた上手《じょうず》な琵琶《びわ》の音《ね》もおもい出されるので、自身はそれを弾《ひ》きながら、女にもぜひ弾けと勧めた。明石は少し合わせて弾いた。なぜこうまでりっぱなことばかりのできる女であろうと源氏は思った。源氏は姫君の様子をくわしく語っていた。大井の山荘も源氏にとっては愛人の家にすぎないのであるが、こんなふうにして泊まり込んでいる時もあるので、ちょっとした菓子、強飯《こわいい》というふうな物くらいを食べることもあった。自家の御堂《みどう》とか、桂《かつら》の院とかへ行って定まった食事はして、貴人の体面はくずさないが、そうかといって並み並みの妾《しょう》の家らしくはして見せず、ある点まではこの家と同化した生活をするような寛大さを示しているのは、明石に持つ愛情の深さがしからしめるのである。明石も源氏のその気持ちを尊重して、出すぎたと思われることはせず、卑下もしすぎないのが、源氏には感じよく思われた。相当に身分のよい愛人の家でもこれほど源氏が打ち解けて暮らすことはないという話も明石は知っていたから。近い東の院などへ移って行っては源氏に珍しがられることもなくなり、飽かれた女になる時期を早くするようなものである、地理的に不便で、特に思い立って来なければならぬ所にいるのが自分の強味であると思っているのである。明石の入道も今後のいっさいのことは神仏に任せるというようなことも言ったのであるが、源氏の愛情、娘や孫の扱われ方などを知りたがって始終使いを出していた。報《しら》せを得て胸のふさがるようなこともあったし、名誉を得た気のすることもあった。
この時分に太政大臣が薨去《こうきょ》した。国家の柱石であった人であるから帝《みかど》もお惜しみになった。源氏も遺憾《いかん》に思った。これまではすべてをその人に任せて閑暇《ひま》のある地位にいられたわけであるから、死別の悲しみのほかに責任の重くなることを痛感した。帝は御年齢の割に大人びた聡明
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