終わり]
送ってだけでもくださいませんか」
と父に頼んだが、それは事情が許さないことであると入道は言いながらも途中が気づかわれるふうが見えた。
「私は出世することなどを思い切ろうとしていたのだが、いよいよその気になって地方官になったのは、ただあなたに物質的にだけでも十分尽くしてやりたいということからだった。それから地方官の仕事も私に適したものでないことをいろんな形で教えられたから、これをやめて地方官の落伍《らくご》者の一人で、京で軽蔑《けいべつ》される人間にこの上なっては親の名誉を恥ずかしめることだと悲しくて出家したがね、京を出たのが世の中を捨てる門出だったと、世間からも私は思われていて、よく潔くそれを実行したと私自身にも満足感はあったが、あなたが一人前の少女になってきたのを見ると、どうしてこんな珠玉を泥土《でいど》に置くような残酷なことを自分はしたかと私の心はまた暗くなってきた。それからは仏と神を頼んで、この人までが私の不運に引かれて一地方人となってしまうようなことがないようにと願った。思いがけず源氏の君を婿に見る日が来たのであるが、われわれには身分のひけ目があって、よいことにも悲しみが常に添っていた。しかし姫君がお生まれになったことで私もだいぶ自信ができてきた。姫君はこんな土地でお育ちになってはならない高い宿命を持つ方に違いないのだから、お別れすることがどんなに悲しくても私はあきらめる。何事ももうとくにあきらめた私は僧じゃないか。姫君は高い高い宿命の人でいられるが、暫時《ざんじ》の間私に祖父と孫の愛を作って見せてくださったのだ。天に生まれる人も一度は三途《さんず》の川まで行くということにあたることだとそれを思って私はこれで長いお別れをする。私が死んだと聞いても仏事などはしてくれる必要はない。死に別れた悲しみもしないでおおきなさい」
と入道は断言したのであるが、また、
「私は煙になる前の夕べまで姫君のことを六時の勤行《ごんぎょう》に混ぜて祈ることだろう。恩愛が捨てられないで」
と悲しそうに言うのであった。車の数の多くなることも人目を引くことであるし、二度に分けて立たせることも面倒《めんどう》なことであるといって、迎えに来た人たちもまた非常に目だつことを恐れるふうであったから、船を用いてそっと明石親子は立つことになった。
午前八時に船が出た。昔の人も身にしむものに見た明石の浦の朝霧に船の隔たって行くのを見る入道の心は、仏弟子《ぶつでし》の超越した境地に引きもどされそうもなかった。ただ呆然《ぼうぜん》としていた。
長い年月を経て都へ帰ろうとする尼君の心もまた悲しかった。
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かの岸に心寄りにし海人船《あまぶね》のそむきし方に漕《こ》ぎ帰るかな
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と言って尼君は泣いていた。明石は、
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いくかへり行きかふ秋を過ごしつつ浮き木に乗りてわれ帰るらん
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と言っていた。追い風であって、予定どおりに一行の人は京へはいることができた。車に移ってから人目を引かぬ用心をしながら大井の山荘へ行ったのである。
山荘は風流にできていて、大井川が明石でながめた海のように前を流れていたから、住居《すまい》の変わった気もそれほどしなかった。明石の生活がなお近い続きのように思われて、悲しくなることが多かった。増築した廊なども趣があって園内に引いた水の流れも美しかった。欠点もあるが住みついたならきっとよくなるであろうと明石の人々は思った。源氏は親しい家司《けいし》に命じて到着の日の一行の饗応《きょうおう》をさせたのであった。自身で訪《たず》ねて行くことは、機会を作ろう作ろうとしながらもおくれるばかりであった。源氏に近い京へ来ながら物思いばかりがされて、女は明石《あかし》の家も恋しかったし、つれづれでもあって、源氏の形見の琴《きん》の絃《いと》を鳴らしてみた。非常に悲しい気のする日であったから、人の来ぬ座敷で明石がそれを少し弾《ひ》いていると、松風の音が荒々しく合奏をしかけてきた。横になっていた尼君が起き上がって言った。
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身を変へて一人帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く
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女《むすめ》が言った。
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ふるさとに見し世の友を恋ひわびてさへづることを誰《たれ》か分くらん
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こんなふうにはかながって暮らしていた数日ののちに、以前にもまして逢《あ》いがたい苦しさを切に感じる源氏は、人目もはばからずに大井へ出かけることにした。夫人にはまだ明石の上京したことは言ってなかったから、ほかから耳にはいっては気まずいことになると思って、源氏は女房を使いにして言わせた
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