ほうのは古典的な価値の定まった物を絵にしたのが多く、弘徽殿のは新作として近ごろの世間に評判のよい物を描かせたのが多かったから、見た目のにぎやかで派手《はで》なのはこちらにあった。典侍《ないしのすけ》や内侍《ないし》や命婦《みょうぶ》も絵の価値を論じることに一所懸命になっていた。女院も宮中においでになるころであったから、女官たちの論議する者を二つにして説をたたかわせて御覧になった。左右に分けられたのである。梅壺方は左で、平典侍《へいてんじ》、侍従の内侍、少将の命婦などで、右方は大弐《だいに》の典侍、中将の命婦、兵衛《ひょうえ》の命婦などであった。皆世間から有識者として認められている女性である。思い思いのことを主張する弁論を女院は興味深く思召《おぼしめ》して、まず日本最初の小説である竹取の翁《おきな》と空穂《うつぼ》の俊蔭《としかげ》の巻を左右にして論評をお聞きになった。
「竹取の老人と同じように古くなった小説ではあっても、思い上がった主人公の赫耶《かぐや》姫の性格に人間の理想の最高のものが暗示されていてよいのです。卑近なことばかりがおもしろい人にはわからないでしょうが」
と左は言う。右
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