って心細くなった御息所は、伊勢という神の境にあって仏教に遠ざかっていた幾年かのことが恐ろしく思われて尼になった。源氏は聞いて、恋人として考えるよりも、首肯される意見を持つよき相談相手と信じていたその人の生命《いのち》が惜しまれて、驚きながら六条邸を見舞った。源氏は真心から御息所をいたわり、御息所を慰める言葉を続けた。病床の近くに源氏の座があって、御息所は脇息《きょうそく》に倚りかかりながらものを言っていた。非常に衰弱の見える昔の恋人のために源氏は泣いた。どれほど愛していたかをこの人に実証して見せることができないままで死別をせねばならぬかと残念でならないのである。この源氏の心が御息所に通じたらしくて、誠意の認められる昔の恋人に御息所は斎宮のことを頼んだ。
「孤児になるのでございますから、何かの場合に子の一人と思ってお世話をしてくださいませ。ほかに頼んで行く人はだれもない心細い身の上なのです。私のような者でも、もう少し人生というもののわかる年ごろまでついていてあげたかったのです」
こう言ったあとで、そのまま気を失うのではないかと思われるほど御息所は泣き続けた。
「あなたのお言葉がなくてもむろん私は父と変わらない心で斎宮を思っているのですから、ましてあなたが御病中にもこんなに御心配になって私へお話しになることは、どこまでも責任を持ってお受け合いします。気がかりになどは少しもお思いになることはありませんよ」
などと源氏が言うと、
「でもなかなかお骨の折れることでございますよ。あとを頼まれた人がほんとうの父親であっても、それでも母親のない娘は心細いことだろうと思われますからね。まして恋人の列になどお入れになっては、思わぬ苦労をすることでしょうし、またほかの方を不快にもさせることだろうと思います。悪い想像ですが決してそんなふうにお取り扱いにならないでね。私自身の経験から、あの人は恋愛もせず一生処女でいる人にさせたいと思います」
御息所はこう言った。意外な忖度《そんたく》までもするものであると思ったが源氏はまた、
「近年の私がどんなにまじめな人間になっているかをご存じでしょう。昔の放縦な生活の名残《なごり》をとどめているようにおっしゃるのが残念です。自然おわかりになってくることでしょうが」
と言った。もう外は暗くなっていた。ほのかな灯影《ほかげ》が病牀《びょうしょう》の几帳《きちょう》をとおしてさしていたから、あるいは見えることがあろうかと静かに寄って几帳の綻《ほころ》びからのぞくと、明るくはない光の中に昔の恋人の姿があった。美しくはなやかに思われるほどに切り残した髪が背にかかっていて、脇息によった姿は絵のようであった。源氏は哀れでたまらないような気がした。帳台の東寄りの所で身を横たえている人は前斎宮でおありになるらしい。几帳の垂《た》れ絹が乱れた間からじっと目を向けていると、宮は頬杖《ほおづえ》をついて悲しそうにしておいでになる。少ししか見えないのであるが美人らしく見えた。髪のかかりよう、頭の形などに気高《けだか》い美が備わりながらまた近代的なはなやかな愛嬌《あいきょう》のある様子もわかった。御息所があんなに阻止的に言っているのであるからと思って、源氏は動く心をおさえた。
「私はとてもまた苦しくなってまいりました。失礼でございますからもうお帰りくださいませ」
と御息所は言って、女房の手を借りて横になった。
「私が伺ったので少しでも御気分がよくなればよかったのですが、お気の毒ですね。どんなふうに苦しいのですか」
と言いながら、源氏が牀《とこ》をのぞこうとするので、御息所は女房に別れの言葉を伝えさせた。
「長くおいでくださいましては物怪《もののけ》の来ている所でございますからお危《あぶの》うございます。病気のこんなに悪くなりました時分に、おいでくださいましたことも深い御因縁のあることとうれしく存じます。平生思っておりましたことを少しでもお話のできましたことで、あなたは遺族にお力を貸してくださるでしょうと頼もしく思われます」
「大事な御遺言を私にしてくださいましたことをうれしく存じます。院の皇女がたはたくさんいらっしゃるのですが、私と親しくしてくださいます方はあまりないのですから、斎宮を院が御自身の皇女の列に思召《おぼしめ》されましたとおりに私も思いまして、兄弟として睦《むつ》まじくいたしましょう。それに私はもう幾人もの子があってよい年ごろになっているのですから、私の物足りなさを斎宮は補ってくださるでしょう」
などと言い置いて源氏は帰った。それからは源氏の見舞いの使いが以前よりもまた繁々《しげしげ》行った。そうして七、八日ののちに御息所は死んだ。無常の人生が悲しまれて、心細くなった源氏は参内もせずに引きこもっていて、御息所の葬儀についての指図《さしず》を下しなどしていた。前の斎宮司の役人などで親しく出入りしていた者などがわずかに来て葬式の用意に奔走するにすぎない六条邸であった。侍臣を送ったあとで源氏自身も葬家へ来た。斎宮に弔詞を取り次がせると、
「ただ今は何事も悲しみのためにわかりませんので」
と女別当《にょべっとう》を出してお言わせになった。
「私に御遺言をなすったこともありますから、ただ今からは私を睦《むつ》まじい者と思召《おぼしめ》してくださいましたら幸《しあわ》せです」
と源氏は言ってから、宮家の人々を呼び出していろいろすることを命じた。非常に頼もしい態度であったから、昔は多少恨めしがっていた一家の人々の感情も解消されていくようである。源氏のほうから葬儀員が送られ、無数の使用人が来て御息所の葬儀はきらやかに執行されたのであった。
源氏は寂しい心を抱いて、昔を思いながら居間の御簾《みす》を下《お》ろしこめて精進の日を送り仏勤めをしていた。前斎宮へは始終見舞いの手紙を送っていた。宮のお悲しみが少し静まってきたころからは御自身で返事もお書きになるようになった。それを恥ずかしく思召すのであったが、乳母《めのと》などから、
「もったいないことでございますから」
と言って、自筆で書くことをお勧められになるのである。雪が霙《みぞれ》となり、また白く雪になるような荒日和《あれびより》に、宮がどんなに寂しく思っておいでになるであろうと想像をしながら源氏は使いを出した。
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こういう天気の日にどういうお気持ちでいられますか。
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降り乱れひまなき空に亡《な》き人の天《あま》がけるらん宿ぞ悲しき
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という手紙を送ったのである。紙は曇った空色のが用いられてあった。若い人の目によい印象があるようにと思って、骨を折って書いた源氏の字はまぶしいほどみごとであった。宮は返事を書きにくく思召したのであるが、
「われわれから御|挨拶《あいさつ》をいたしますのは失礼でございますから」
と女房たちがお責めするので、灰色の紙の薫香《くんこう》のにおいを染ませた艶《えん》なのへ、目だたぬような書き方にして、
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消えがてにふるぞ悲しきかきくらしわが身それとも思ほえぬ世に
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とお書きになった。おとなしい書風で、そしておおようで、すぐれた字ではないが品のあるものであった。斎宮になって伊勢へお行きになったころから源氏はこの方に興味を持っていたのである。もう今は忌垣《いがき》の中の人でもなく、保護者からも解放された一人の女性と見てよいのであるから、恋人として思う心をささやいてよい時になったのであると、こんなふうに思われるのと同時に、それはすべきでない、おかわいそうであると思った。御息所がその点を気づかっていたことでもあるし、世間もその疑いを持って見るであろうことが、自分は全然違った清い扱いを宮にしよう、陛下が今少し大人らしくものを認識される時を待って、前斎宮を後宮に入れよう、子供が少なくて寂しい自分は養女をかしずくことに楽しみを見いだそうと源氏は思いついた。親切に始終尋ねの手紙を送っていて、何かの時には自身で六条邸へ行きもした。
「失礼ですが、お母様の代わりと思ってくだすって、御遠慮のないおつきあいをくだすったら、私の真心がわかっていただけたという気がするでしょう」
などと言うのであるが、宮は非常に内気で羞恥《しゅうち》心がお強くて、異性にほのかな声でも聞かせることは思いもよらぬことのようにお考えになるのであったから、女房たちも勧めかねて、宮のおとなしさを苦労にしていた。女別当《にょべっとう》、内侍《ないし》、そのほか御親戚関係の王家の娘などもお付きしているのである。自分の心に潜在している望みが実現されることがあっても、他の恋人たちの中に混じって劣る人ではないらしいこの人の顔を見たいものであると、こんなことも思っている源氏であったから、養父として打ちとけない人が聡明《そうめい》であったのであろう。自身の心もまだどうなるかしれないのであるから、前斎宮を入内《じゅだい》させる希望などは人に言っておかぬほうがよいと源氏は思っていた。故人の仏事などにとりわけ力を入れてくれる源氏に六条邸の人々は感謝していた。
六条邸は日がたつにしたがって寂しくなり、心細さがふえてくる上に、御息所《みやすどころ》の女房なども次第に下がって行く者が多くなって、京もずっと下《しも》の六条で、東に寄った京極通りに近いのであるから、郊外ほどの寂しさがあって、山寺の夕べの鐘の音にも斎宮の御涙は誘われがちであった。同じく母といっても、宮と御息所は親一人子一人で、片時離れることもない十幾年の御生活であった。斎宮が母君とごいっしょに行かれることはあまり例のないことであったが、しいてごいっしょにお誘いになったほどの母君が、死の道だけはただ一人でおいでになったとお思いになることが、斎宮の尽きぬお悲しみであった。女房たちを仲介にして求婚をする男は各階級に多かったが、源氏は乳母《めのと》たちに、
「自分勝手なことをして問題を起こすようなことを宮様にしてはならない」
と親らしい注意を与えていたので、源氏を不快がらせるようなことは慎まねばならぬとおのおの思いもし諫《いさ》め合いもしているのである。それで情実のためにどう計らおうというようなことも皆はしなかった。院は宮が斎宮としてお下りになる日の荘厳だった大極殿《だいごくでん》の儀式に、この世の人とも思われぬ美貌《びぼう》を御覧になった時から、恋しく思召されたのであって、帰京後に、
「院の御所へ来て、私の妹の宮などと同じようにして暮らしては」
と宮のことを、故人の御息所へお申し込みになったこともあるのである。御息所のほうでは院に寵姫《ちょうき》が幾人も侍している中へ、後援者らしい者もなくて行くことはみじめであるし、院が始終御病身であることも、母の自分と同じ未亡人の悲しみをさせる結果になるかもしれぬと院参を躊躇《ちゅうちょ》したものであったが、今になってはましてだれが宮のお世話をして院の後宮へなどおはいりになることができようと女房たちは思っているのである。院のほうでは御熱心に今なおその仰せがある。源氏はこの話を聞いて、院が望んでおいでになる方を横取りのようにして宮中へお入れすることは済まないと思ったが、宮の御様子がいかにも美しく可憐《かれん》で、これを全然ほかの所へ渡してしまうことが残念な気になって、入道の宮へ申し上げた。こんな隠れた事実があって決断ができないということをお話しした。
「お母様の御息所はきわめて聡明《そうめい》な人だったのですが、私の若気のあやまちから浮き名を流させることになりました上、私は一生恨めしい者と思われることになったのですが、私は心苦しく思っているのでございます。私は許されることなしにその人を死なせてしまいましたが、亡《な》くなります少し前に斎宮のことを言い出したのでございます。私としましては、さすがに聞いた以上は遺言を実行する誠意のある者として頼んで行くのであると思えてうれしゅうございまして、無関係な
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