は別なものであると思う源氏であった。源氏は相人の言葉のよく合う実証として、今帝の御即位が思われた。后《きさき》が一人自分から生まれるということに明石の報《しら》せが符合することから、住吉《すみよし》の神の庇護《ひご》によってあの人も后の母になる運命から、父の入道が自然片寄った婿選びに身命を打ち込むほどの狂態も見せたのであろう。后の位になるべき人を田舎《いなか》で生まれさせたのはもったいない気の毒なことであると源氏は思って、しばらくすれば京へ呼ぼうと思って、東の院の建築を急がせていた。明石のような田舎に相当な乳母《めのと》がありえようとは思われないので、父帝の女房をしていた宣旨《せんじ》という女の娘で父は宮内卿《くないきょう》宰相だった人であったが、母にも死に別れ、寂しい生活をするうちに恋愛関係から子供を生んだという話を近ごろ源氏は聞き、その噂《うわさ》を伝えた人を呼び出して、宰相の娘に、源氏の姫君の乳母として明石へ赴《おもむ》くことの交渉を始めさせた。この女はまだ若くて無邪気な性質から、寂しい荒《あば》ら屋で物思いをばかりして暮らす朝夕の生活に飽いていて、深くも考えずに、源氏の縁のかか
前へ 次へ
全44ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング