大臣は言って引き受けない。
「支那《しな》でも政界の混沌《こんとん》としている時代は退《しりぞ》いて隠者になっている人も治世の君がお決まりになれば、白髪も恥じずお仕えに出て来るような人をほんとうの聖人だと言ってほめています。御病気で御辞退になった位を次の天子の御代に改めて頂戴《ちょうだい》することはさしつかえがありませんよ」
と源氏も、公人として私人として忠告した。大臣も断わり切れずに太政大臣になった。年は六十三であった。事実は先朝に権力をふるった人たちに飽き足りないところがあって引きこもっていたのであるから、この人に栄えの春がまわってきたわけである。一時不遇なように見えた子息たちも浮かび出たようである。その中でも宰相中将は権中納言になった。四の君が生んだ今年十二になる姫君を早くから後宮に擬して中納言は大事に育てていた。以前二条の院につれられて来て高砂《たかさご》を歌った子も元服させて幸福な家庭を中納言は持っていた。腹々に生まれた子供が多くて一族がにぎやかであるのを源氏はうらやましく思っていた。太政大臣家で育てられていた源氏の子はだれよりも美しい子供で、御所へも東宮へも殿上童《てんじょうわらわ》として出入りしているのである。源氏の葵《あおい》夫人の死んだことを、父母はまたこの栄えゆく春に悲しんだ。しかしすべてが昔の婿の源氏によってもたらされた光明であって、何年かの暗い影が源氏のためにこの家から取り去られたのである。源氏は今も昔のとおりに老夫妻に好意を持っていて何かの場合によく訪《たず》ねて行った。若君の乳母《めのと》そのほかの女房も長い間そのままに勤めている者に、厚く酬《むく》いてやることも源氏は忘れなかった。幸せ者が多くできたわけである。二条の院でもそのとおりに、主人を変えようともしなかった女房を源氏は好遇した。また中将とか、中務《なかつかさ》とかいう愛人関係であった人たちにも、多年の孤独が慰むるに足るほどな愛撫《あいぶ》が分かたれねばならないのであったから、暇がなくて外歩きも源氏はしなかった。二条の院の東に隣った邸《やしき》は院の御遺産で源氏の所有になっているのをこのごろ源氏は新しく改築させていた。花散里《はなちるさと》などという恋人たちを住ませるための設計をして造られているのである。
源氏は明石《あかし》の君の妊娠していたことを思って、始終気にかけているのであったが、公私の事の多さに、使いを出して尋ねることもできない。三月の初めにこのごろが産期になるはずであると思うと哀れな気がして使いをやった。
「先月の十六日に女のお子様がお生まれになりました」
という報《しら》せを聞いた源氏は愛人によってはじめての女の子を得た喜びを深く感じた。なぜ京へ呼んで産をさせなかったかと残念であった。源氏の運勢を占って、子は三人で、帝《みかど》と后《きさき》が生まれる、いちばん劣った運命の子は太政大臣で、人臣の位をきわめるであろう、その中のいちばん低い女が女の子の母になるであろうと言われた。また源氏が人臣として最高の位置を占めることも言われてあったので、それは有名な相人《そうにん》たちの言葉が皆一致するところであったが、逆境にいた何年間はそんなことも心に否定するほかはなかったのである。当帝が即位されたことは源氏にうれしかったが、自身の上に高御座《たかみくら》の栄誉を希《ねが》わないことは少年の日と少しも異なっていなかった。あるまじいことと思っている。多くの皇子たちの中にすぐれてお愛しになった父帝が人臣の列に自分をお置きになった御精神を思うと、自分の運と天位とは別なものであると思う源氏であった。源氏は相人の言葉のよく合う実証として、今帝の御即位が思われた。后《きさき》が一人自分から生まれるということに明石の報《しら》せが符合することから、住吉《すみよし》の神の庇護《ひご》によってあの人も后の母になる運命から、父の入道が自然片寄った婿選びに身命を打ち込むほどの狂態も見せたのであろう。后の位になるべき人を田舎《いなか》で生まれさせたのはもったいない気の毒なことであると源氏は思って、しばらくすれば京へ呼ぼうと思って、東の院の建築を急がせていた。明石のような田舎に相当な乳母《めのと》がありえようとは思われないので、父帝の女房をしていた宣旨《せんじ》という女の娘で父は宮内卿《くないきょう》宰相だった人であったが、母にも死に別れ、寂しい生活をするうちに恋愛関係から子供を生んだという話を近ごろ源氏は聞き、その噂《うわさ》を伝えた人を呼び出して、宰相の娘に、源氏の姫君の乳母として明石へ赴《おもむ》くことの交渉を始めさせた。この女はまだ若くて無邪気な性質から、寂しい荒《あば》ら屋で物思いをばかりして暮らす朝夕の生活に飽いていて、深くも考えずに、源氏の縁のかか
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