け》になってはなやかな赤袍の一人であった。明石に来ていた人たちが昔の面影とは違ったはなやかな姿で人々の中に混じっているのが船から見られた。若い顕官たち、殿上役人が競うように凝った姿をして、馬や鞍《くら》にまで華奢《かしゃ》を尽くしている一行は、田舎《いなか》の見物人の目を楽しませた。源氏の乗った車が来た時、明石の君はきまり悪さに恋しい人をのぞくことができなかった。河原《かわら》の左大臣の例で童形《どうぎょう》の儀仗《ぎじょう》の人を源氏は賜わっているのである。それらは美しく装うていて、髪は分けて二つの輪のみずらを紫のぼかしの元結いでくくった十人は、背たけもそろった美しい子供である。近年はあまり許される者のない珍しい随身である。大臣家で生まれた若君は馬に乗せられていて、一班ずつを揃《そろ》えの衣裳《いしょう》にした幾班かの馬添い童《わらわ》がつけられてある。最高の貴族の子供というものはこうしたものであるというように、多数の人から大事に扱われて通って行くのを見た時、明石の君は自分の子も兄弟でいながら見る影もなく扱われていると悲しかった。いよいよ御社《みやしろ》に向いて子のために念じていた。
摂津守が出て来て一行を饗応《きょうおう》した。普通の大臣の参詣《さんけい》を扱うのとはおのずから違ったことになるのは言うまでもない。明石の君はますます自分がみじめに見えた。
こんな時に自分などが貧弱な御幣《みてぐら》を差し上げても神様も目にとどめにならぬだろうし、帰ってしまうこともできない、今日は浪速《なにわ》のほうへ船をまわして、そこで祓《はら》いでもするほうがよいと思って、明石の君の乗った船はそっと住吉を去った。こんなことを源氏は夢にも知らないでいた。夜通しいろいろの音楽舞楽を広前《ひろまえ》に催して、神の喜びたもうようなことをし尽くした。過去の願に神へ約してあった以上のことを源氏は行なったのである。惟光《これみつ》などという源氏と辛苦をともにした人たちは、この住吉の神の徳を偉大なものと感じていた。ちょっと外へ源氏の出て来た時に惟光《これみつ》が言った。
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住吉の松こそものは悲しけれ神代のことをかけて思へば
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源氏もそう思っていた。
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「荒かりし浪《なみ》のまよひに住吉の神をばかけて忘れやはする
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