を大事がるのはもっともなことである。おのずから風景の明媚《めいび》な土地に、林泉の美が巧みに加えられた庭が座敷の周囲にあった。入り江の水の姿の趣などは想像力の乏しい画家には描《か》けないであろうと思われた。須磨の家に比べるとここは非常に明るくて朗らかであった。座敷の中の設備にも華奢《かしゃ》が尽くされてあった。生活ぶりは都の大貴族と少しも変わっていないのである。それよりもまだ派手《はで》なところが見えないでもない。
 明石へ移って来た初めの落ち着かぬ心が少しなおってから、源氏は京へ手紙を書いた。
「こんなことになろうとは知らずに来て、ここで死ぬ運命だった」
 などと言って、悲しんでいた京の使いが須磨にまだいたのを呼んで、過分な物を報酬に与えた上で、京でするいろいろの用が命ぜられた。頼みつけの祈りの僧たちや寺々へはこの間からのことが言いやられ、新たな祈りが依頼されたのである。私人には入道の宮へだけ、稀有《けう》にして命をまっとうした須磨の生活の終わりを源氏はお知らせした。二条の院の憐《あわ》れな手紙の返事は一気には書かれずに、一章を書いては泣き一章を書いては涙を拭《ふ》きして書いている様子にも源氏がその人を思う深さが見られるのであった。
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あとへあとへと悲しいことが起こってきて、もう苦しい経験はし尽くしたような私ですからしきりに出家したい心も湧《わ》きますが、鏡を見てもとお言いになったあなたの面影が目を離れないのですから、あなたに再会をしないでは、それを実行することもできません。何の苦しみよりも私にはあなたと離れている苦痛が最もつらいことに思われます。あなたにまた逢うことができれば、ほかのいとわしいことは皆忍んでいこうと思います。

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はるかにも思ひやるかな知らざりし浦より遠《をち》に浦づたひして

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まだ夢の続きで、明石の浦にまで来ているような気がしてなりません。こんな時に書く手紙はまちがったこともあるでしょうが許してください。
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 正しくは書かれずに乱れ書きになっているような美しい手紙を、横から見ていて、源氏が二条の院の夫人を愛する深さを惟光《これみつ》たちは思った。そうした人たちもわが家への音信をこの使いへ託した。あの晴れ間もないようだった天気は名残《なごり》なく晴れて、明石の浦の空は澄み返っていた。ここの漁業をする人たちは得意そうだった。須磨は寂しく静かで、漁師の家もまばらにしかなかったのである。最初ここへ来た時にはそれと変わった漁村のにぎやかに見えるのを、いとわしく思った源氏も、ここにはまた特殊ないろいろのよさのあるのが、発見されていって慰んでいた。
 主人《あるじ》の入道は信仰生活をする精神的な人物で、俗気《ぞっけ》のない愛すべき男であるが、溺愛《できあい》する一人娘のことでは、源氏の迷惑に思うことを知らずに、注意を引こうとする言葉もおりおり洩《も》らすのである。源氏もかねて興味を持って噂《うわさ》を聞いていた女であったから、こんな意外な土地へ来ることになったのは、その人との前生の縁に引き寄せられているのではないかとも思うことはあるが、こうした境遇にいる間は仏勤め以外のことに心をつかうまい。京の女王《にょおう》に聞かれてもやましくない生活をしているのとは違って、そうなれば誓ってきたことも皆|嘘《うそ》にとられるのが恥ずかしいと思って、入道の娘に求婚的な態度をとるようなことは絶対にしなかった。何かのことに触れては平凡な娘ではなさそうであると心の動いて行くことはないのではなかった。源氏のいる所へは入道自身すら遠慮をしてあまり近づいて来ない。ずっと離れた仮屋建てのほうに詰めきっていた。心の中では美しい源氏を始終見ていたくてならないのである。ぜひ希望することを実現させたいと思って、いよいよ仏神を念じていた。年は六十くらいであるがきれいな老人で、仏勤めに痩《や》せて、もとの身柄のよいせいであるか、頑固《がんこ》な、そしてまた老いぼけたようなところもありながら、古典的な趣味がわかっていて感じはきわめてよい。素養も相当にあることが何かの場合に見えるので、若い時に見聞したことを語らせて聞くことで源氏のつれづれさも紛れることがあった。昔から公人として、私人として少しの閑暇《ひま》もない生活をしていた源氏であったから、古い時代にあった実話などをぼつぼつと少しずつ話してくれる老人のあることは珍重すべきであると思った。この人に逢わなかったら歴史の裏面にあったようなことはわからないでしまったかもしれぬとまでおもしろく思われることも話の中にはあった。こんなふうで入道は源氏に親しく扱われているのであるが、この気高《けだか》い貴人に対しては、以前はあんなに独《
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