こることでもあったし、祈祷《きとう》と御|精進《しょうじん》で一時およろしかった御眼疾もまたこのごろお悪くばかりなっていくことに心細く思召して、七月二十幾日に再度|御沙汰《ごさた》があって、京へ帰ることを源氏は命ぜられた。いずれはそうなることと源氏も期していたのではあるが、無常の人生であるから、それがまたどんな変わったことになるかもしれないと不安がないでもなかったのに、にわかな宣旨《せんじ》で帰洛《きらく》のことの決まったのはうれしいことではあったが、明石《あかし》の浦を捨てて出ねばならぬことは相当に源氏を苦しませた。入道も当然であると思いながらも、胸に蓋《ふた》がされたほど悲しい気持ちもするのであったが、源氏が都合よく栄えねば自分のかねての理想は実現されないのであるからと思い直した。
 その時分は毎夜山手の家へ通う源氏であった。今年の六月ごろから女は妊娠していた。別離の近づくことによってあやにくなと言ってもよいように源氏は女を深く好きになった。どこまでも恋の苦から離れられない自分なのであろうと源氏は煩悶《はんもん》していた。女はもとより思い乱れていた。もっともなことである。思いがけぬ旅に京は捨ててもまた帰る日のないことなどは源氏の思わなかったことであった。慰める所がそれにはあった。今度は幸福な都へ帰るのであって、この土地との縁はこれで終わると見ねばならないと思うと、源氏は物哀れでならなかった。侍臣たちにも幸運は分かたれていて、だれもおどる心を持っていた。京の迎えの人たちもその日からすぐに下って来た者が多数にあって、それらも皆人生が楽しくばかり思われるふうであるのに、主人の入道だけは泣いてばかりいた。そして七月が八月になった。色の身にしむ秋の空をながめて、自分は今も昔も恋愛のために絶えない苦を負わされる、思い死にもしなければならないようにと源氏は思い悶《もだ》えていた。女との関係を知っている者は、
「反感が起こるよ。例のお癖だね」
 と言って、困ったことだと思っていた。源氏が長い間この関係を秘密にしていて、人目を紛らして通っていたことが近ごろになって人々にわかったのであったから、
「女からいえば一生の物思いを背負い込んだようなものだ」
 とも言ったりした。少納言がよく話していた女であるともその連中が言っていた時、良清《よしきよ》は少しくやしかった。
 出発が明後日に
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