ちの所へは手紙だけを送って、ひそかに別れを告げた。形式的なものでなくて、真情のこもったもので、いつまでも自分を忘れさすまいとした手紙を書いたのであったから、きっと文学的におもしろいものもあったに違いないが、その時分に筆者はこのいたましい出来事に頭を混乱させていて、それらのことを注意して聞いておかなかったのが残念である。
 出発前二、三日のことである、源氏はそっと左大臣家へ行った。簡単な網代車《あじろぐるま》で、女の乗っているようにして奥のほうへ寄っていることなども、近侍者には悲しい夢のようにばかり思われた。昔使っていた住居《すまい》のほうは源氏の目に寂しく荒れているような気がした。若君の乳母《めのと》たちとか、昔の夫人の侍女で今も残っている人たちとかが、源氏の来たのを珍しがって集まって来た。今日の不幸な源氏を見て、人生の認識のまだ十分できていない若い女房なども皆泣く。かわいい顔をした若君がふざけながら走って来た。
「長く見ないでいても父を忘れないのだね」
 と言って、膝《ひざ》の上へ子をすわらせながらも源氏は悲しんでいた。左大臣がこちらへ来て源氏に逢《あ》った。
「おひまな間に伺って、
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