のであるが、この男が下加茂《しもがも》の社《やしろ》がはるかに見渡される所へ来ると、ふと昔が目に浮かんで来て、馬から飛びおりるとすぐに源氏の馬の口を取って歌った。

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ひきつれて葵《あふひ》かざせしそのかみを思へばつらし加茂のみづがき
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 どんなにこの男の心は悲しいであろう、その時代にはだれよりもすぐれてはなやかな青年であったのだから、と思うと源氏は苦しかった。自身もまた馬からおりて加茂の社《やしろ》を遥拝《ようはい》してお暇乞《いとまご》いを神にした。

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うき世をば今ぞ離るる留《とど》まらん名をばただすの神に任せて
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 と歌う源氏の優美さに文学的なこの青年は感激していた。
 父帝の御陵に来て立った源氏は、昔が今になったように思われて、御在世中のことが目の前に見える気がするのであったが、しかし尊い君王も過去の方になっておしまいになっては、最愛の御子の前へも姿をお出しになることができないのは悲しいことである。いろいろのことを源氏は泣く泣く訴えたが、何のお答えも承ることができない。自分のために
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