だけでもいっしょにいられることがもうないかもしれませんね。私たちがまだこんないやな世の中の渦中《かちゅう》に巻き込まれないでいられたころを、なぜむだにばかりしたのでしょう。過去にも未来にも例の少ないような不幸な男になるのを知らないで、あなたといっしょにいてよい時間をなぜこれまでにたくさん作らなかったのだろう」
恋の初めから今日までのことを源氏が言い出して、感傷的な話の尽きないのであるが、鶏ももうたびたび鳴いた。源氏はやはり世間をはばかって、ここからも早暁に出て行かねばならないのである。月がすっとはいってしまう時のような気がして女心は悲しかった。月の光がちょうど花散里《はなちるさと》の袖の上にさしているのである。「宿る月さへ濡《ぬ》るる顔なる」という歌のようであった。
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月影の宿れる袖《そで》は狭くともとめてぞ見ばや飽かぬ光を
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こう言って、花散里の悲しがっている様子があまりに哀れで、源氏のほうから慰めてやらねばならなかった。
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「行きめぐりつひにすむべき月影のしばし曇らん空なながめそ
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はかないことだ。私は希望を持っているのだが、反対に涙が流れてきて心を暗くされますよ」
と源氏は言って、夜明け前の一時的に暗くなるころに帰って行った。
源氏はいよいよ旅の用意にかかった。源氏に誠意を持って仕えて、現在の権勢に媚《こ》びることを思わない人たちを選んで、家司《けいし》として留守《るす》中の事務を扱う者をまず上から下まで定めた。随行するのは特にまたその中から選ばれた至誠の士である。隠栖《いんせい》の用に持って行くのは日々必要な物だけで、それも飾りけのない質素な物を選んだ。それから書籍類、詩集などを入れた箱、そのほかには琴を一つだけ携えて行くことにした。たくさんにある手道具や華奢《かしゃ》な工芸品は少しも持って行かない。一平民の質素な隠栖者になろうとするのである。源氏は今まで召し使っていた男女をはじめ、家のこと全部を西の対へ任せることにした。私領の荘園、牧場、そのほか所有権のあるものの証券も皆夫人の手もとへ置いて行くのであった。なおそのほかに物資の蓄蔵されてある幾つの倉庫、納殿《おさめどの》などのことも、信用する少納言の乳母《めのと》を上にして何人かの家司をそれにつけて
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