が、同棲《どうせい》して精神的の融和がそこに見いだせるかは疑問である。これまでのような関係に満足していてくれれば、高等な趣味の友として自分は愛することができるであろうと源氏は思っているのである。これきり別れてしまう心はさすがになかった。
 二条の院の姫君が何人《なにびと》であるかを世間がまだ知らないことは、実質を疑わせることであるから、父宮への発表を急がなければならないと源氏は思って、裳着《もぎ》の式の用意を自身の従属関係になっている役人たちにも命じてさせていた。こうした好意も紫の君はうれしくなかった。純粋な信頼を裏切られたのは自分の認識が不足だったのであると悔やんでいるのである。目も見合わないようにして源氏を避けていた。戯談《じょうだん》を言いかけられたりすることは苦しくてならぬふうである。鬱々《うつうつ》と物思わしそうにばかりして以前とはすっかり変わった夫人の様子を源氏は美しいこととも、可憐なこととも思っていた。
「長い間どんなにあなたを愛して来たかもしれないのに、あなたのほうはもう私がきらいになったというようにしますね。それでは私がかわいそうじゃありませんか」
 恨みらしく言ってみることもあった。
 こうして今年が暮れ、新しい春になった。元日には院の御所へ先に伺候してから参内をして、東宮の御殿へも参賀にまわった。そして御所からすぐに左大臣家へ源氏は行った。大臣は元日も家にこもっていて、家族と故人の話をし出しては寂しがるばかりであったが、源氏の訪問にあって、しいて、悲しみをおさえようとするのがさも堪えがたそうに見えた。重ねた一歳は源氏の美に重々しさを添えたと大臣家の人は見た。以前にもまさってきれいでもあった。大臣の前を辞して昔の住居《すまい》のほうへ行くと、女房たちは珍しがって皆源氏を見に集まって来たが、だれも皆つい涙をこぼしてしまうのであった。若君を見るとしばらくのうちに驚くほど大きくなっていて、よく笑うのも哀れであった。目つき口もとが東宮にそっくりであるから、これを人が怪しまないであろうかと源氏は見入っていた。夫人のいたころと同じように初春の部屋が装飾してあった。衣服掛けの棹《さお》に新調された源氏の春着が掛けられてあったが、女の服が並んで掛けられてないことは見た目だけにも寂しい。
 宮様の挨拶《あいさつ》を女房が取り次いで来た。
「今日だけはどうしても昔を忘れていなければならないと辛抱《しんぼう》しているのですが、御訪問くださいましたことでかえってその努力がむだになってしまいました」
 それから、また、
「昔からこちらで作らせますお召し物も、あれからのちは涙で私の視力も曖昧《あいまい》なんですから不出来にばかりなりましたが、今日だけはこんなものでもお着かえくださいませ」
 と言って、掛けてある物のほかに、非常に凝った美しい衣裳《いしょう》一|揃《そろ》いが贈られた。当然今日の着料になる物としてお作らせになった下襲《したがさね》は、色も織り方も普通の品ではなかった。着ねば力をお落としになるであろうと思って源氏はすぐに下襲をそれに変えた。もし自分が来なかったら失望あそばしたであろうと思うと心苦しくてならないものがあった。お返辞の挨拶は、
「春の参りましたしるしに、当然参るべき私がお目にかかりに出たのですが、あまりにいろいろなことが思い出されまして、お話を伺いに上がれません。

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あまたとし今日改めし色ごろもきては涙ぞ降るここちする
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 自分をおさえる力もないのでございます」
 と取り次がせた。宮から、

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新しき年ともいはず降るものはふりぬる人の涙なりけり
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 という御返歌があった。どんなにお悲しかったことであろう。
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(訳注) 源氏二十二歳より二十三歳まで。
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底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2003年7月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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