があっても好意が持たれるのに、ましてこれほどの美貌《びぼう》の主であったかと思うと一種の感激を覚えた。けれどもそれは結婚をしてもよい、愛に報いようとまでする心の動きではなかった。宮の若い女房たちは聞き苦しいまでに源氏をほめた。
 翌日の加茂祭りの日に左大臣家の人々は見物に出なかった。源氏に御禊《みそぎ》の日の車の場所争いを詳しく告げた人があったので、源氏は御息所《みやすどころ》に同情して葵夫人の態度を飽き足らず思った。貴婦人としての資格を十分に備えながら、情味に欠けた強い性格から、自身はそれほどに憎んではいなかったであろうが、そうした一人の男を巡って愛の生活をしている人たちの間はまた一種の愛で他を見るものであることを知らない女主人の意志に習って付き添った人間が御息所を侮辱したに違いない、見識のある上品な貴女である御息所はどんなにいやな気がさせられたであろうと、気の毒に思ってすぐに訪問したが、斎宮がまだ邸《やしき》においでになるから、神への遠慮という口実で逢《あ》ってくれなかった。源氏には自身までもが恨めしくてならない、現在の御息所の心理はわかっていながらも、どちらもこんなに自己を主張するようなことがなくて柔らかに心が持てないのであろうかと歎息《たんそく》されるのであった。
 祭りの日の源氏は左大臣家へ行かずに二条の院にいた。そして町へ見物に出て見る気になっていたのである。西の対へ行って、惟光《これみつ》に車の用意を命じた。
「女連も見物に出ますか」
 と言いながら、源氏は美しく装うた紫の姫君の姿を笑顔《えがお》でながめていた。
「あなたはぜひおいでなさい。私がいっしょにつれて行きましょうね」
 平生よりも美しく見える少女の髪を手でなでて、
「先を久しく切らなかったね。今日は髪そぎによい日だろう」
 源氏はこう言って、陰陽道《おんみょうどう》の調べ役を呼んでよい時間を聞いたりしながら、
「女房たちは先に出かけるといい」
 と言っていた。きれいに装った童女たちを点見したが、少女らしくかわいくそろえて切られた髪の裾《すそ》が紋織の派手《はで》な袴《はかま》にかかっているあたりがことに目を惹《ひ》いた。
「女王《にょおう》さんの髪は私が切ってあげよう」
 と言った源氏も、
「あまりたくさんで困るね。大人《おとな》になったらしまいにはどんなになろうと髪は思っているのだろう。」
 と困っていた。
「長い髪の人といっても前の髪は少し短いものなのだけれど、あまりそろい過ぎているのはかえって悪いかもしれない」
 こんなことも言いながら源氏の仕事は終わりになった。
「千尋《ちひろ》」
 と、これは髪そぎの祝い言葉である。少納言は感激していた。

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はかりなき千尋の底の海松房《みるぶさ》の生《お》ひ行く末はわれのみぞ見ん
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 源氏がこう告げた時に、女王は、

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千尋ともいかでか知らん定めなく満ち干《ひ》る潮ののどけからぬに
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 と紙に書いていた。貴女らしくてしかも若やかに美しい人に源氏は満足を感じていた。
 今日も町には隙間《すきま》なく車が出ていた。馬場殿あたりで祭りの行列を見ようとするのであったが、都合のよい場所がない。
「大官連がこの辺にはたくさん来ていて面倒《めんどう》な所だ」
 源氏は言って、車をやるのでなく、停《と》めるのでもなく、躊躇《ちゅうちょ》している時に、よい女車で人がいっぱいに乗りこぼれたのから、扇を出して源氏の供を呼ぶ者があった。
「ここへおいでになりませんか。こちらの場所をお譲りしてもよろしいのですよ」
 という挨拶《あいさつ》である。どこの風流女のすることであろうと思いながら、そこは実際よい場所でもあったから、その車に並べて源氏は車を据《す》えさせた。
「どうしてこんなよい場所をお取りになったかとうらやましく思いました」
 と言うと、品のよい扇の端を折って、それに書いてよこした。

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はかなしや人のかざせるあふひ故《ゆゑ》神のしるしの今日を待ちける

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注連《しめ》を張っておいでになるのですもの。
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 源典侍《げんてんじ》の字であることを源氏は思い出したのである。どこまで若返りたいのであろうと醜く思った源氏は皮肉に、

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かざしける心ぞ仇《あだ》に思ほゆる八十氏《やそうぢ》人になべてあふひを
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 と書いてやると、恥ずかしく思った女からまた歌が来た。

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くやしくも挿《かざ》しけるかな名のみして人だのめなる草葉ばかりを
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 今日の源氏が女の同乗者を持っていて、簾《みす》さえ上げずに来ているのをねたましく思う人が多かった。御禊の日の端麗だった源氏が今日はくつろいだふうに物見車の主になっている、並んで乗っているほどの人は並み並みの女ではないはずであるとこんなことを皆想像したものである。源典侍では競争者と名のって出られても問題にはならないと思うと、源氏は少しの物足りなさを感じたが、源氏の愛人がいると思うと晴れがましくて、源典侍のようなあつかましい老女でもさすがに困らせるような戯談《じょうだん》もあまり言い出せないのである。
 御息所《みやすどころ》の煩悶《はんもん》はもう過去何年かの物思いとは比較にならないほどのものになっていた。信頼のできるだけの愛を持っていない人と源氏を決めてしまいながらも、断然別れて斎宮について伊勢へ行ってしまうことは心細いことのようにも思われたし、捨てられた女と見られたくない世間体も気になった。そうかと言って安心して京にいることも、全然無視された車争いの日の記憶がある限り可能なことではなかった。自身の心を定めかねて、寝てもさめても煩悶をするせいか、次第に心がからだから離れて行き、自身は空虚なものになっているという気分を味わうようになって、病気らしくなった。源氏は初めから伊勢へ行くことに断然不賛成であるとも言い切らずに、
「私のようなつまらぬ男を愛してくだすったあなたが、いやにおなりになって、遠くへ行ってしまうという気になられるのはもっともですが、寛大な心になってくだすって変わらぬ恋を続けてくださることで前生《ぜんしょう》の因縁を全《まった》くしたいと私は願っている」
 こんなふうにだけ言って留めているのであったから、そうした物思いも慰むかと思って出た御禊川《みそぎがわ》に荒い瀬が立って不幸を見たのである。
 葵《あおい》夫人は物怪《もののけ》がついたふうの容体で非常に悩んでいた。父母たちが心配するので、源氏もほかへ行くことが遠慮される状態なのである。二条の院などへもほんの時々帰るだけであった。夫婦の中は睦《むつ》まじいものではなかったが、妻としてどの女性よりも尊重する心は十分源氏にあって、しかも妊娠しての煩いであったから憐《あわれ》みの情も多く加わって、修法《しゅほう》や祈祷《きとう》も大臣家でする以外にいろいろとさせていた。物怪《もののけ》、生霊《いきりょう》というようなものがたくさん出て来て、いろいろな名乗りをする中に、仮に人へ移そうとしても、少しも移らずにただじっと病む夫人にばかり添っていて、そして何もはげしく病人を悩まそうとするのでもなく、また片時も離れない物怪《もののけ》が一つあった。どんな修験僧《しゅげんそう》の技術ででも自由にすることのできない執念のあるのは、並み並みのものであるとは思われなかった。左大臣家の人たちは、源氏の愛人をだれかれと数えて、それらしいのを求めると、結局六条の御息所と二条の院の女は源氏のことに愛している人であるだけ夫人に恨みを持つことも多いわけであると、こう言って、物怪に言わせる言葉からその主を知ろうとしても、何の得るところもなかった。物怪といっても、育てた姫君に愛を残した乳母《めのと》というような人、もしくはこの家を代々敵視して来た亡魂とかが弱り目につけこんでくるような、そんなのは決して今度の物怪の主たるものではないらしい。夫人は泣いてばかりいて、おりおり胸がせき上がってくるようにして苦しがるのである。どうなることかとだれもだれも不安でならなかった。院の御所からも始終お見舞いの使いが来る上に祈祷までも別にさせておいでになった。こんな光栄を持つ夫人に万一のことがなければよいとだれも思った。世間じゅうが惜しんだり歎《なげ》いたりしているこの噂《うわさ》も御息所を不快な気分にした。これまでは決してこうではなかったのである。競争心を刺戟《しげき》したのは車争いという小さいことにすぎないが、それがどれほど大きな恨みになっているかを左大臣家の人は想像もしなかった。
 物思いは御息所の病をますます昂《こう》じさせた。斎宮をはばかって、他の家へ行って修法などをさせていた。源氏はそれを聞いてどんなふうに悪いのかと哀れに思って訪ねて行った。自邸でない人の家であったから、人目を避けてこの人たちは逢った。本意ではなくて長く逢いに来なかったことを御息所の気も済むほどこまごまと源氏は語っていた。妻の病状も心配げに話すのである。
「私はそれほど心配しているのではないのですが、親たちがたいへんな騒ぎ方をしていますから、気の毒で、少し容体がよくなるまでは謹慎を表していようと思うだけなのです。あなたが心を大きく持って見ていてくだすったら私は幸福です」
 などと言う。女に平生よりも弱々しいふうの見えるのを、もっともなことに思って源氏は同情していた。疑いも恨みも氷解したわけでもなく源氏が帰って行く朝の姿の美しいのを見て、自分はとうていこの人を離れて行きうるものではないと御息所は思った。正夫人である上に子供が生まれるとなれば、その人以外の女性に持っている愛などはさめて淡《うす》いものになっていくであろう時、今のように毎日待ち暮らすことも、その辛抱《しんぼう》に命の続かなくなることであろうと、それでいてまた思われもして、たまたま逢って物思いの決して少なくはならない御息所へ、次の日は手紙だけが暮れてから送られた。
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この間うち少し癒《よ》くなっていたようでした病人にまたにわかに悪い様子が見えてきて苦しんでいるのを見ながら出られないのです。
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 とあるのを、例の上手《じょうず》な口実である、と見ながらも御息所は返事を書いた。

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袖《そで》濡《ぬ》るるこひぢとかつは知りながら下《お》り立つ田子の自《みづか》らぞ憂《う》き

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古い歌にも「悔《くや》しくぞ汲《く》みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水」とございます。
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 というのである。幾人かの恋人の中でもすぐれた字を書く人であると、源氏は御息所の返事をながめて思いながらも、理想どおりにこの世はならないものである。性質にも容貌《ようぼう》にも教養にもとりどりの長所があって、捨てることができず、ある一人に愛を集めてしまうこともできないことを苦しく思った。そのまた返事を、もう暗くなっていたが書いた。
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袖が濡れるとお言いになるのは、深い恋を持ってくださらない方の恨みだと思います。

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あさみにや人は下《お》り立つわが方《かた》は身もそぼつまで深きこひぢを

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この返事を口ずから申さないで、筆をかりてしますことはどれほど苦痛なことだかしれません。
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 などと言ってあった。
 葵の君の容体はますます悪い。六条の御息所の生霊であるとも、その父である故人の大臣の亡霊が憑《つ》いているとも言われる噂《うわさ》の聞こえて来た時、御息所は自分自身の薄命を歎《なげ》くほかに人を咀《のろ》う心などはないが、物思いがつのればからだから離れることのあるという魂はあるいはそんな恨みを告げに源氏の夫人の病床へ出没するか
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