ある。宮様のお心に悲しみがつのって涙で目もお見えにならない。お返事はなかった。しばらくして源氏の居間へ大臣が出て来た。非常に悲しんで、袖《そで》を涙の流れる顔に当てたままである。それを見る女房たちも悲しかった。人生の悲哀の中に包まれて泣く源氏の姿は、そんな時も艶《えん》であった。大臣はやっとものを言い出した。
「年を取りますと、何でもないことにもよく涙が出るものですが、ああした打撃がやって来たのですから、もう私は涙から解放される時間といってはございません。私がこんな弱い人間であることを人に見せたくないものですから、院の御所へも伺候しないのでございます。お話のついでにあなたからよろしくお取りなしになっておいてください。もう余命いくばくもない時になって、子に捨てられましたことが恨めしゅうございます」
 一所懸命に悲しみをおさえながら言うことはこれであった。源氏も幾度か涙を飲みながら言った。
「いつだれが死に取られるかしれないのが人生の相であると承知しておりましても、目前にそれを体験しましたわれわれの悲しみは理窟《りくつ》で説明も何もできません。院にもあなたの御様子をよく申し上げます。必ず御同情をあそばすでしょう」
「それではもうお出かけなさいませ。時雨《しぐれ》があとからあとから追っかけて来るようですから、せめて暮れないうちにおいでになるがよい」
 と大臣は勧めた。源氏が座敷の中を見まわすと几帳《きちょう》の後ろとか、襖子《からかみ》の向こうとか、ずっと見える所に女房の三十人ほどが幾つものかたまりを作っていた。濃い喪服も淡鈍《うすにび》色も混じっているのである。皆心細そうにめいったふうであるのを源氏は哀れに思った。
「御愛子もここにいられるのだから、今後この邸《やしき》へお立ち寄りになることも決してないわけでないと私どもはみずから慰めておりますが、単純な女たちは、今日限りこの家はあなた様の故郷にだけなってしまうのだと悲観しておりまして、生死の別れをした時よりも、時々おいでの節御用を奉仕させていただきました幸福が失われたようにお別れを悲しがっておりますのももっともに思われます。長くずっと来てくださるようなことはございませんでしたが、そのころ私はいつかはこうでない幸いが私の家へまわって来るものと信じたり、その反対な寂しさを思ってみたりしたものですが、とにかく今日の夕方ほど寂
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