》で、この順番を晴れがましく思うことであろうと見えたが、きわめて無難に得た韵字を告げた。声《こわ》づかいに貫目があると思われた。その他の人は臆《おく》してしまったようで、態度も声もものにならぬのが多かった。地下《じげ》の詩人はまして、帝も東宮も詩のよい作家で、またよい批評家でおありになったし、そのほかにもすぐれた詩才のある官人の多い時代であったから、恥ずかしくて、清い広庭に出て行くことが、ちょっとしたことなのであるが難事に思われた。博士《はかせ》などがみすぼらしい風采《ふうさい》をしながらも場馴《ばな》れて進退するのにも御同情が寄ったりして、この御覧になる方々はおもしろく思召《おぼしめ》された。奏せられる音楽も特にすぐれた人たちが選ばれていた。春の永日《ながび》がようやく入り日の刻になるころ、春鶯囀《しゅんおうてん》の舞がおもしろく舞われた。源氏の紅葉賀《もみじのが》の青海波《せいがいは》の巧妙であったことを忘れがたく思召《おぼしめ》して、東宮が源氏へ挿《かざし》の花を下賜あそばして、ぜひこの舞に加わるようにと切望あそばされた。辞しがたくて、一振りゆるゆる袖《そで》を反《かえ》す春鶯囀
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