いろな小道具を置いて、またそのほかに小さく作った家などを幾つも源氏が与えてあったのを、それらを座敷じゅうに並べて遊んでいるのである。
「儺追《なやら》いをするといって犬君《いぬき》がこれをこわしましたから、私よくしていますの」
と姫君は言って、一所懸命になって小さい家を繕おうとしている。
「ほんとうにそそっかしい人ですね。すぐ直させてあげますよ。今日は縁起を祝う日ですからね、泣いてはいけませんよ」
言い残して出て行く源氏の春の新装を女房たちは縁に近く出て見送っていた。紫の君も同じように見に立ってから、雛人形の中の源氏の君をきれいに装束させて真似《まね》の参内をさせたりしているのであった。
「もう今年からは少し大人におなりあそばせよ。十歳《とお》より上の人はお雛様遊びをしてはよくないと世間では申しますのよ。あなた様はもう良人《おっと》がいらっしゃる方なんですから、奥様らしく静かにしていらっしゃらなくてはなりません。髪をお梳《す》きするのもおうるさがりになるようなことではね」
などと少納言が言った。遊びにばかり夢中になっているのを恥じさせようとして言ったのであるが、女王は心の中で、私にはもう良人があるのだって、源氏の君がそうなんだ。少納言などの良人は皆醜い顔をしている、私はあんなに美しい若い人を良人にした、こんなことをはじめて思った。というのも一つ年が加わったせいかもしれない。何ということなしにこうした幼稚さが御簾《みす》の外まで来る家司《けいし》や侍たちにも知れてきて、怪しんではいたが、だれもまだ名ばかりの夫人であるとは知らなんだ。
源氏は御所から左大臣家のほうへ退出した。例のように夫人からは高いところから多情男を見くだしているというようなよそよそしい態度をとられるのが苦しくて、源氏は、
「せめて今年からでもあなたが暖かい心で私を見てくれるようになったらうれしいと思うのだが」
と言ったが、夫人は、二条の院へある女性が迎えられたということを聞いてからは、本邸へ置くほどの人は源氏の最も愛する人で、やがては正夫人として公表するだけの用意がある人であろうとねたんでいた。自尊心の傷つけられていることはもとよりである。しかも何も気づかないふうで、戯談《じょうだん》を言いかけて行きなどする源氏に負けて、余儀なく返辞をする様子などに魅力がなくはなかった。四歳《よっつ》ほどの年上であることを夫人自身でもきまずく恥ずかしく思っているが、美の整った女盛りの貴女《きじょ》であることは源氏も認めているのである。どこに欠点もない妻を持っていて、ただ自分の多情からこの人に怨《うら》みを負うような愚か者になっているのだとこんなふうにも源氏は思った。同じ大臣でも特に大きな権力者である現代の左大臣が父で、内親王である夫人から生まれた唯一の娘であるから、思い上がった性質にでき上がっていて、少しでも敬意の足りない取り扱いを受けては、許すことができない。帝《みかど》の愛子として育った源氏の自負はそれを無視してよいと教えた。こんなことが夫妻の溝《みぞ》を作っているものらしい。左大臣も二条の院の新夫人の件などがあって、頼もしくない婿君の心をうらめしがりもしていたが、逢えば恨みも何も忘れて源氏を愛した。今もあらゆる歓待を尽くすのである。
翌朝源氏が出て行こうとする時に、大臣は装束を着けている源氏に、有名な宝物になっている石の帯を自身で持って来て贈った。正装した源氏の形《すがた》を見て、後ろのほうを手で引いて直したりなど大臣はしていた。沓《くつ》も手で取らないばかりである。娘を思う親心が源氏の心を打った。
「こんないいのは、宮中の詩会があるでしょうから、その時に使いましょう」
と贈り物の帯について言うと、
「それにはまたもっといいのがございます。これはただちょっと珍しいだけの物です」
と言って、大臣はしいてそれを使わせた。この婿君を斎《かしず》くことに大臣は生きがいを感じていた。たまさかにもせよ婿としてこの人を出入りさせていれば幸福感は十分大臣にあるであろうと見えた。
源氏の参賀の場所は数多くもなかった。東宮、一院、それから藤壺の三条の宮へ行った。
「今日はまたことにおきれいに見えますね、年がお行きになればなるほどごりっぱにおなりになる方なんですね」
女房たちがこうささやいている時に、宮はわずかな几帳《きちょう》の間から源氏の顔をほのかに見て、お心にはいろいろなことが思われた。御出産のあるべきはずの十二月を過ぎ、この月こそと用意して三条の宮の人々も待ち、帝《みかど》もすでに、皇子女御出生についてのお心づもりをしておいでになったが、何ともなくて一月もたった。物怪《もののけ》が御出産を遅れさせているのであろうかとも世間で噂《うわさ》をする時、宮のお心は非常に苦しかった。このことによって救われない悪名を負う人になるのかと、こんな煩悶《はんもん》をされることが自然おからだにさわってお加減も悪いのであった。それを聞いても源氏はいろいろと思い合わすことがあって、目だたぬように産婦の宮のために修法《しゅほう》などをあちこちの寺でさせていた。この間に御病気で宮が亡《な》くなっておしまいにならぬかという不安が、源氏の心をいっそう暗くさせていたが、二月の十幾日に皇子が御誕生になったので、帝も御満足をあそばし、三条の宮の人たちも愁眉《しゅうび》を開いた。なお生きようとする自分の心は未練で恥ずかしいが、弘徽殿《こきでん》あたりで言う詛《のろ》いの言葉が伝えられている時に自分が死んでしまってはみじめな者として笑われるばかりであるから、とそうお思いになった時からつとめて今は死ぬまいと強くおなりになって、御衰弱も少しずつ恢復《かいふく》していった。
帝は新皇子を非常に御覧になりたがっておいでになった。人知れぬ父性愛の火に心を燃やしながら源氏は伺候者の少ない隙《すき》をうかがって行った。
「陛下が若宮にどんなにお逢いになりたがっていらっしゃるかもしれません。それで私がまずお目にかかりまして御様子でも申し上げたらよろしいかと思います」
と源氏は申し込んだのであるが、
「まだお生まれたての方というものは醜うございますからお見せしたくございません」
という母宮の御挨拶で、お見せにならないのにも理由があった。それは若宮のお顔が驚くほど源氏に生き写しであって、別のものとは決して見えなかったからである。宮はお心の鬼からこれを苦痛にしておいでになった。この若宮を見て自分の過失に気づかぬ人はないであろう、何でもないことも捜し出して人をとがめようとするのが世の中である。どんな悪名を自分は受けることかとお思いになると、結局不幸な者は自分であると熱い涙がこぼれるのであった。源氏は稀《まれ》に都合よく王命婦が呼び出された時には、いろいろと言葉を尽くして宮にお逢いさせてくれと頼むのであるが、今はもう何のかいもなかった。新皇子拝見を望むことに対しては、
「なぜそんなにまでおっしゃるのでしょう。自然にその日が参るのではございませんか」
と答えていたが、無言で二人が読み合っている心が別にあった。口で言うべきことではないから、そのほうのことはまた言葉にしにくかった。
「いつまた私たちは直接にお話ができるのだろう」
と言って泣く源氏が王命婦の目には気の毒でならない。
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「いかさまに昔結べる契りにてこの世にかかる中の隔てぞ
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わからない、わからない」
とも源氏は言うのである。命婦は宮の御|煩悶《はんもん》をよく知っていて、それだけ告げるのが恋の仲介《なかだち》をした者の義務だと思った。
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「見ても思ふ見ぬはたいかに歎《なげ》くらんこや世の人の惑ふてふ闇《やみ》
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どちらも同じほどお気の毒だと思います」
と命婦は言った。取りつき所もないように源氏が悲しんで帰って行くことも、度が重なれば邸《やしき》の者も不審を起こしはせぬかと宮は心配しておいでになって王命婦をも昔ほどお愛しにはならない。目に立つことをはばかって何ともお言いにはならないが、源氏への同情者として宮のお心では命婦をお憎みになることもあるらしいのを、命婦はわびしく思っていた。意外なことにもなるものであると歎《なげ》かれたであろうと思われる。
四月に若宮は母宮につれられて宮中へおはいりになった。普通の乳児《ちのみご》よりはずっと大きく小児《こども》らしくなっておいでになって、このごろはもうからだを起き返らせるようにもされるのであった。紛らわしようもない若宮のお顔つきであったが、帝には思いも寄らぬことでおありになって、すぐれた子どうしは似たものであるらしいと思召《おぼしめ》した。帝は新皇子をこの上なく御大切にあそばされた。源氏の君を非常に愛しておいでになりながら、東宮にお立てになることは世上の批難を恐れて御実行ができなかったのを、帝は常に終生の遺憾事に思召して、長じてますます王者らしい風貌《ふうぼう》の備わっていくのを御覧になっては心苦しさに堪えないように思召したのであるが、こんな尊貴な女御から同じ美貌の皇子が新しくお生まれになったのであるから、これこそは瑕《きず》なき玉であると御|寵愛《ちょうあい》になる。女御の宮はそれをまた苦痛に思っておいでになった。源氏の中将が音楽の遊びなどに参会している時などに帝は抱いておいでになって、
「私は子供がたくさんあるが、おまえだけをこんなに小さい時から毎日見た。だから同じように思うのかよく似た気がする。小さい間は皆こんなものだろうか」
とお言いになって、非常にかわいくお思いになる様子が拝された。源氏は顔の色も変わる気がしておそろしくも、もったいなくも、うれしくも、身にしむようにもいろいろに思って涙がこぼれそうだった。ものを言うようなかっこうにお口をお動かしになるのが非常にお美しかったから、自分ながらもこの顔に似ているといわれる顔は尊重すべきであるとも思った。宮はあまりの片腹痛さに汗を流しておいでになった。源氏は若宮を見て、また予期しない父性愛の心を乱すもののあるのに気がついて退出してしまった。
源氏は二条の院の東の対《たい》に帰って、苦しい胸を休めてから後刻になって左大臣家へ行こうと思っていた。前の庭の植え込みの中に何木となく、何草となく青くなっている中に、目だつ色を作って咲いた撫子《なでしこ》を折って、それに添える手紙を長く王命婦《おうみょうぶ》へ書いた。
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よそへつつ見るに心も慰まで露けさまさる撫子の花
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花を子のように思って愛することはついに不可能であることを知りました。
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とも書かれてあった。だれも来ぬ隙《すき》があったか命婦はそれを宮のお目にかけて、
「ほんの塵《ちり》ほどのこのお返事を書いてくださいませんか。この花片《はなびら》にお書きになるほど、少しばかり」
と申し上げた。宮もしみじみお悲しい時であった。
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袖《そで》濡《ぬ》るる露のゆかりと思ふにもなほうとまれぬやまと撫子
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とだけ、ほのかに、書きつぶしのもののように書かれてある紙を、喜びながら命婦は源氏へ送った。例のように返事のないことを予期して、なおも悲しみくずおれている時に宮の御返事が届けられたのである。胸騒ぎがしてこの非常にうれしい時にも源氏の涙は落ちた。
じっと物思いをしながら寝ていることは堪えがたい気がして、例の慰め場所西の対へ行って見た。少し乱れた髪をそのままにして部屋着の袿姿《うちかけすがた》で笛を懐しい音《ね》に吹きながら座敷をのぞくと、紫の女王はさっきの撫子が露にぬれたような可憐《かれん》なふうで横になっていた。非常に美しい。こぼれるほどの愛嬌《あいきょう》のある顔が、帰邸した気配《けはい》がしてからすぐにも出て来なかった源氏を恨めしいと思うように向こうに向けられているのである。座敷の端
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