ろいろの秋の紅葉《もみじ》の散りかう中へ青海波の舞い手が歩み出た時には、これ以上の美は地上にないであろうと見えた。挿《かざ》しにした紅葉が風のために葉数の少なくなったのを見て、左大将がそばへ寄って庭前の菊を折ってさし変えた。日暮れ前になってさっと時雨《しぐれ》がした。空もこの絶妙な舞い手に心を動かされたように。
 美貌の源氏が紫を染め出したころの白菊を冠《かむり》に挿《さ》して、今日は試楽の日に超《こ》えて細かな手までもおろそかにしない舞振りを見せた。終わりにちょっと引き返して来て舞うところなどでは、人が皆清い寒気をさえ覚えて、人間界のこととは思われなかった。物の価値のわからぬ下人《げにん》で、木の蔭《かげ》や岩の蔭、もしくは落ち葉の中にうずもれるようにして見ていた者さえも、少し賢い者は涙をこぼしていた。承香殿《じょうきょうでん》の女御を母にした第四親王がまだ童形《どうぎょう》で秋風楽をお舞いになったのがそれに続いての見物《みもの》だった。この二つがよかった。あとのはもう何の舞も人の興味を惹《ひ》かなかった。ないほうがよかったかもしれない。今夜源氏は従三位《じゅさんみ》から正三位に上った。頭中将は正四位下が上になった。他の高官たちにも波及して昇進するものが多いのである。当然これも源氏の恩であることを皆知っていた。この世でこんなに人を喜ばしうる源氏は前生《ぜんしょう》ですばらしい善業《ぜんごう》があったのであろう。
 それがあってから藤壺の宮は宮中から実家へお帰りになった。逢う機会をとらえようとして、源氏は宮邸の訪問にばかりかかずらっていて、左大臣家の夫人もあまり訪わなかった。その上紫の姫君を迎えてからは、二条の院へ新たな人を入れたと伝えた者があって、夫人の心はいっそう恨めしかった。真相を知らないのであるから恨んでいるのがもっともであるが、正直に普通の人のように口へ出して恨めば自分も事実を話して、自分の心持ちを説明もし慰めもできるのであるが、一人でいろいろな忖度《そんたく》をして恨んでいるという態度がいやで、自分はついほかの人に浮気《うわき》な心が寄っていくのである。とにかく完全な女で、欠点といっては何もない、だれよりもいちばん最初に結婚した妻であるから、どんなに心の中では尊重しているかしれない、それがわからない間はまだしかたがない。将来はきっと自分の思うような妻になしうるだろうと源氏は思って、その人が少しのことで源氏から離れるような軽率な行為に出ない性格であることも源氏は信じて疑わなかったのである。永久に結ばれた夫婦としてその人を思う愛にはまた特別なものがあった。
 若紫は馴《な》れていくにしたがって、性質のよさも容貌《ようぼう》の美も源氏の心を多く惹《ひ》いた。姫君は無邪気によく源氏を愛していた。家の者にも何人《なにびと》であるか知らすまいとして、今も初めの西の対《たい》を住居《すまい》にさせて、そこに華麗な設備をば加え、自身も始終こちらに来ていて若い女王《にょおう》を教育していくことに力を入れているのである。手本を書いて習わせなどもして、今までよそにいた娘を呼び寄せた善良な父のようになっていた。事務の扱い所を作り、家司《けいし》も別に命じて貴族生活をするのに何の不足も感じさせなかった。しかも惟光《これみつ》以外の者は西の対の主の何人《なにびと》であるかをいぶかしく思っていた。女王は今も時々は尼君を恋しがって泣くのである。源氏のいる間は紛れていたが、夜などまれにここで泊まることはあっても、通う家が多くて日が暮れると出かけるのを、悲しがって泣いたりするおりがあるのを源氏はかわいく思っていた。二、三日御所にいて、そのまま左大臣家へ行っていたりする時は若紫がまったくめいり込んでしまっているので、母親のない子を持っている気がして、恋人を見に行っても落ち着かぬ心になっているのである。僧都《そうず》はこうした報告を受けて、不思議に思いながらもうれしかった。尼君の法事の北山の寺であった時も源氏は厚く布施《ふせ》を贈った。
 藤壺《ふじつぼ》の宮の自邸である三条の宮へ、様子を知りたさに源氏が行くと王命婦《おうみょうぶ》、中納言の君、中務《なかつかさ》などという女房が出て応接した。源氏はよそよそしい扱いをされることに不平であったが自分をおさえながらただの話をしている時に兵部卿《ひょうぶきょう》の宮がおいでになった。源氏が来ていると聞いてこちらの座敷へおいでになった。貴人らしい、そして艶《えん》な風流男とお見えになる宮を、このまま女にした顔を源氏はかりに考えてみてもそれは美人らしく思えた。藤壺の宮の兄君で、また可憐《かれん》な若紫の父君であることにことさら親しみを覚えて源氏はいろいろな話をしていた。兵部卿の宮もこれまでよりも打ち解けて見える美し
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