つものがあった。「瓜《うり》作りになりやしなまし」という歌を、美声ではなやかに歌っているのには少し反感が起こった。白楽天が聞いたという鄂州《がくしゅう》の女の琵琶もこうした妙味があったのであろうと源氏は聞いていたのである。弾きやめて女は物思いに堪えないふうであった。源氏は御簾《みす》ぎわに寄って催馬楽《さいばら》の東屋《あずまや》を歌っていると、「押し開いて来ませ」という所を同音で添えた。源氏は勝手の違う気がした。

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立ち濡《ぬ》るる人しもあらじ東屋にうたてもかかる雨そそぎかな
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 と歌って女は歎息《たんそく》をしている。自分だけを対象としているのではなかろうが、どうしてそんなに人が待たれるのであろうと源氏は思った。

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人妻はあなわづらはし東屋のまやのあまりも馴《な》れじとぞ思ふ
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 と言い捨てて、源氏は行ってしまいたかったのであるが、あまりに侮辱したことになると思って典侍の望んでいたように室内へはいった。源氏は女と朗らかに戯談《じょうだん》などを言い合っているうちに、こうした境地も悪くない気がしてきた。頭中将は源氏がまじめらしくして、自分の恋愛問題を批難したり、注意を与えたりすることのあるのを口惜《くちお》しく思って、素知らぬふうでいて源氏には隠れた恋人が幾人かあるはずであるから、どうかしてそのうちの一つの事実でもつかみたいと常に思っていたが、偶然今夜の会合を来合わせて見た。頭中将はうれしくて、こんな機会に少し威嚇《おど》して、源氏を困惑させて懲りたと言わせたいと思った。それでしかるべく油断を与えておいた。冷ややかに風が吹き通って夜のふけかかった時分に源氏らが少し寝入ったかと思われる気配《けはい》を見計らって、頭中将はそっと室内へはいって行った。自嘲《じちょう》的な思いに眠りなどにははいりきれなかった源氏は物音にすぐ目をさまして人の近づいて来るのを知ったのである。典侍の古い情人で今も男のほうが離れたがらないという噂のある修理大夫《しゅりだゆう》であろうと思うと、あの老人にとんでもないふしだらな関係を発見された場合の気まずさを思って、
「迷惑になりそうだ、私は帰ろう。旦那《だんな》の来ることは初めからわかっていただろうに、私をごまかして泊まらせたのですね」
 と言って、源氏は直衣《のうし》だけを手でさげて屏風《びょうぶ》の後ろへはいった。中将はおかしいのをこらえて源氏が隠れた屏風を前から横へ畳み寄せて騒ぐ。年を取っているが美人型の華奢《きゃしゃ》なからだつきの典侍が以前にも情人のかち合いに困った経験があって、あわてながらも源氏をあとの男がどうしたかと心配して、床の上にすわって慄《ふる》えていた。自分であることを気づかれないようにして去ろうと源氏は思ったのであるが、だらしなくなった姿を直さないで、冠《かむり》をゆがめたまま逃げる後ろ姿を思ってみると、恥な気がしてそのまま落ち着きを作ろうとした。中将はぜひとも自分でなく思わせなければならないと知って物を言わない。ただ怒《おこ》ったふうをして太刀《たち》を引き抜くと、
「あなた、あなた」
 典侍は頭中将を拝んでいるのである。中将は笑い出しそうでならなかった。平生|派手《はで》に作っている外見は相当な若さに見せる典侍も年は五十七、八で、この場合は見得《みえ》も何も捨てて二十《はたち》前後の公達《きんだち》の中にいて気をもんでいる様子は醜態そのものであった。わざわざ恐ろしがらせよう自分でないように見せようとする不自然さがかえって源氏に真相を教える結果になった。自分と知ってわざとしていることであると思うと、どうでもなれという気になった。いよいよ頭中将であることがわかるとおかしくなって、抜いた太刀を持つ肱《ひじ》をとらえてぐっとつねると、中将は見顕《みあら》わされたことを残念に思いながらも笑ってしまった。
「本気なの、ひどい男だね。ちょっとこの直衣《のうし》を着るから」
 と源氏が言っても、中将は直衣を放してくれない。
「じゃ君にも脱がせるよ」
 と言って、中将の帯を引いて解いてから、直衣を脱がせようとすると、脱ぐまいと抵抗した。引き合っているうちに縫い目がほころんでしまった。

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「包むめる名や洩《も》り出《い》でん引きかはしかくほころぶる中の衣に
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 明るみへ出ては困るでしょう」
 と中将が言うと、

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隠れなきものと知る知る夏衣きたるをうすき心とぞ見る
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 と源氏も負けてはいないのである。双方ともだらしない姿になって行ってしまった。
 源氏は友人に威嚇《おど》されたことを残念に思いながら宿直所
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