して言う。

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「笹《ささ》分けば人や咎《とが》めんいつとなく駒|馴《な》らすめる森の木隠れ
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 あなたの所はさしさわりが多いからうっかり行けない」
 こう言って、立って行こうとする源氏を、典侍は手で留めて、
「私はこんなにまで煩悶《はんもん》をしたことはありませんよ。すぐ捨てられてしまうような恋をして一生の恥をここでかくのです」
 非常に悲しそうに泣く。
「近いうちに必ず行きます。いつもそう思いながら実行ができないだけですよ」
 袖《そで》を放させて出ようとするのを、典侍はまたもう一度追って来て「橋柱」(思ひながらに中や絶えなん)と言いかける所作《しょさ》までも、お召《めし》かえが済んだ帝が襖子《からかみ》からのぞいておしまいになった。不つり合いな恋人たちであるのを、おかしく思召《おぼしめ》してお笑いになりながら、帝は、
「まじめ過ぎる恋愛ぎらいだと言っておまえたちの困っている男もやはりそうでなかったね」
 と典侍《ないしのすけ》へお言いになった。典侍はきまり悪さも少し感じたが、恋しい人のためには濡衣《ぬれぎぬ》でさえも着たがる者があるのであるから、弁解はしようとしなかった。それ以後御所の人たちが意外な恋としてこの関係を噂《うわさ》した。頭中将《とうのちゅうじょう》の耳にそれがはいって、源氏の隠し事はたいてい正確に察して知っている自分も、まだそれだけは気がつかなんだと思うとともに、自身の好奇心も起こってきて、まんまと好色な源典侍の情人の一人になった。この貴公子もざらにある若い男ではなかったから、源氏の飽き足らぬ愛を補う気で関係をしたが、典侍の心に今も恋しくてならない人はただ一人の源氏であった。困った多情女である。きわめて秘密にしていたので頭中将との関係を源氏は知らなんだ。御殿で見かけると恨みを告げる典侍に、源氏は老いている点にだけ同情を持ちながらもいやな気持ちがおさえ切れずに長く逢いに行こうともしなかったが、夕立のしたあとの夏の夜の涼しさに誘われて温明殿《うんめいでん》あたりを歩いていると、典侍はそこの一室で琵琶《びわ》を上手《じょうず》に弾《ひ》いていた。清涼殿の音楽の御遊びの時、ほかは皆男の殿上役人の中へも加えられて琵琶の役をするほどの名手であったから、それが恋に悩みながら弾く絃《いと》の音《ね》には源氏の心を打
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