ないで来るのは気の毒ですが、ぐずぐずもしていられません。なぜかというと草薬の蒜《ひる》なるものの臭気がいっぱいなんですから、私は逃げて出る方角を考えながら、『ささがにの振舞《ふるま》ひしるき夕暮れにひるま過ぐせと言ふがあやなき。何の口実なんだか』と言うか言わないうちに走って来ますと、あとから人を追いかけさせて返歌をくれました。『逢《あ》ふことの夜をし隔てぬ中ならばひるまも何か眩《まば》ゆからまし』というのです。歌などは早くできる女なんでございます」
式部丞の話はしずしずと終わった。貴公子たちはあきれて、
「うそだろう」
と爪弾《つまはじ》きをして見せて、式部をいじめた。
「もう少しよい話をしたまえ」
「これ以上珍しい話があるものですか」
式部丞は退《さが》って行った。
「総体、男でも女でも、生かじりの者はそのわずかな知識を残らず人に見せようとするから困るんですよ。三史五経の学問を始終引き出されてはたまりませんよ。女も人間である以上、社会百般のことについてまったくの無知識なものはないわけです。わざわざ学問はしなくても、少し才のある人なら、耳からでも目からでもいろいろなことは覚えられていきます。自然男の知識に近い所へまでいっている女はつい漢字をたくさん書くことになって、女どうしで書く手紙にも半分以上漢字が混じっているのを見ると、いやなことだ、あの人にこの欠点がなければという気がします。書いた当人はそれほどの気で書いたのではなくても、読む時に音が強くて、言葉の舌ざわりがなめらかでなく嫌味《いやみ》になるものです。これは貴婦人もするまちがった趣味です。歌|詠《よ》みだといわれている人が、あまりに歌にとらわれて、むずかしい故事なんかを歌の中へ入れておいて、そんな相手になっている暇のない時などに詠《よ》みかけてよこされるのはいやになってしまうことです、返歌をせねば礼儀でなし、またようしないでいては恥だし困ってしまいますね。宮中の節会《せちえ》の日なんぞ、急いで家を出る時は歌も何もあったものではありません。そんな時に菖蒲《しょうぶ》に寄せた歌が贈られる、九月の菊の宴に作詩のことを思って一所懸命になっている時に、菊の歌。こんな思いやりのないことをしないでも場合さえよければ、真価が買ってもらえる歌を、今贈っては目にも留めてくれないということがわからないでよこしたりされると、つい
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