が歌われたものばかりを帝はお読みになった。帝は命婦にこまごまと大納言《だいなごん》家の様子をお聞きになった。身にしむ思いを得て来たことを命婦は外へ声をはばかりながら申し上げた。未亡人の御返事を帝は御覧になる。
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もったいなさをどう始末いたしてよろしゅうございますやら。こうした仰せを承りましても愚か者はただ悲しい悲しいとばかり思われるのでございます。

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荒き風防ぎし蔭《かげ》の枯れしより小萩《こはぎ》が上ぞしづ心無き
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 というような、歌の価値の疑わしいようなものも書かれてあるが、悲しみのために落ち着かない心で詠《よ》んでいるのであるからと寛大に御覧になった。帝はある程度まではおさえていねばならぬ悲しみであると思召すが、それが御困難であるらしい。はじめて桐壺《きりつぼ》の更衣《こうい》の上がって来たころのことなどまでがお心の表面に浮かび上がってきてはいっそう暗い悲しみに帝をお誘いした。その当時しばらく別れているということさえも自分にはつらかったのに、こうして一人でも生きていられるものであると思うと自分は偽り者のような気がするとも帝はお思いになった。
「死んだ大納言の遺言を苦労して実行した未亡人への酬《むく》いは、更衣を後宮の一段高い位置にすえることだ、そうしたいと自分はいつも思っていたが、何もかも皆夢になった」
 とお言いになって、未亡人に限りない同情をしておいでになった。
「しかし、あの人はいなくても若宮が天子にでもなる日が来れば、故人に后《きさき》の位を贈ることもできる。それまで生きていたいとあの夫人は思っているだろう」
 などという仰せがあった。命婦《みょうぶ》は贈られた物を御前《おまえ》へ並べた。これが唐《から》の幻術師が他界の楊貴妃《ようきひ》に逢《あ》って得て来た玉の簪《かざし》であったらと、帝はかいないこともお思いになった。

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尋ね行くまぼろしもがなつてにても魂《たま》のありかをそこと知るべく
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 絵で見る楊貴妃はどんなに名手の描《か》いたものでも、絵における表現は限りがあって、それほどのすぐれた顔も持っていない。太液《たいえき》の池の蓮花《れんげ》にも、未央宮《びおうきゅう》の柳の趣にもその人は似ていたであろうが、また唐《から》の服
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