って。……わたしの事?」
「ナーニ。」
「それならお勤先の事?」
「ウウ、マアそうサ。」
「マアそうサなんて、変な仰《おっしゃ》り様《よう》ネ。どういうこと?」
「…………」
「辞職?」
と聞いたのは、吾が夫と中村という人とは他の教官達とは全く出《で》が異《ちが》っていて、肌合《はだあい》の職人風のところが引装《ひきつくろ》わしてもどこかで出る、それは学校なんぞというものとは映《うつ》りの悪いことである。それを仲の好い二人《ふたり》が笑って話合っていた折々のあるのを知っていたからである。
「ナーニ。」
「免職《めんしょく》? 御《お》さとし免職ってことが有るってネ。もしか免職なんていうんなら、わたしゃ聴《き》きやしない。あなたなんか、ヤイヤイ云われて貰《もら》われたレッキとした堅気《かたぎ》のお嬢《じょう》さんみたようなもので、それを免職と云えば無理|離縁《りえん》のようなものですからネ。」
「誰も免職とも何とも云ってはいないよ。お先ッ走り! うるさいネ。」
「そんならどうしたの? 誰か高慢《こうまん》チキな意地悪と喧嘩《けんか》でもしたの。」
「イイヤ。」
「そんなら……」
「うるさいね。」
「だって……」
「うるさいッ。」
「オヤ、けんどんですネ、人が一生懸命《いっしょうけんめい》になって訊《き》いてるのに。何でそんなに沈んでいるのです?」
「別に沈んじゃいない。」
「イイエ、沈んでいます。かわいそうに。何でそんなに。」
「かわいそうに、は好かったネ、ハハハハ。」
「人をはぐらかすものじゃありませんよ。ホン気になっているものを。サ、なんで、そんなに……。なんでですよ。」
「ひとりでにカなア。」
「マア! 何も隠《かく》さなくったッていいじゃありませんか。どういう入《い》※[#小書き片仮名リ、1−6−91]訳《わけ》なんですか聴かせて下さい。実はコレコレとネ。女だって、わたしあ、あなたの忠臣《ちゅうしん》じゃありませんか。」
 忠臣という言葉は少し奇異《きい》に用いられたが、この人にしてはごもっともであった。実際この主人の忠臣であるに疑いない。しかし主人の耳にも浄瑠璃《じょうるり》なんどに出る忠臣という語に連関して聞えたか、
「話せッて云ったって、隠すのじゃ無いが、おんなわらべの知る事ならずサ。」
 浄瑠璃の行われる西の人だったから、主人は偶然《ぐうぜん》に用いた
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