ら些《ちと》御福分《おふくわ》けをなすって下さいまし。
と笑って世辞《せじ》をいってくれた。その言葉を背中に聴かせながら、
ああ、宜《い》いとも。だがまだボク釣師だからね、ハハハ。
と答えてサッサと歩くと、
でもアテにして待ってますよ、ハハハ。
と背後《うしろ》から大きな声で、なかなか調子が好い。世故《せこ》に慣れているというまででなくても善良の老人は人に好い感じを持たせる、こういわれて悪い気はしない。駄馬にも篠《しの》の鞭《むち》、という格《かく》で、少しは心に勇みを添えられる。勿論《もちろん》未熟者という意味のボク釣師と自《みずか》ら言ったのは謙遜的で、内心に下手《へた》釣師と自ら信じている釣客《ちょうかく》はないのであるし、自分もこの二日ばかりは不結果だったが、今日は好い結果を得たいと念じていたのである。
場処《ばしょ》へ着いた。と見ると、いつも自分の坐るところに小さな児《こ》がチャンと坐っていた。汚れた手拭で頬冠《ほおかむ》りをして、大人《おとな》のような藍《あい》の細かい縞物《しまもの》の筒袖単衣《つつそでひとえ》の裙短《すそみじか》なのの汚れかえっているのを着て、細い手脚《てあし》の渋紙《しぶかみ》色なのを貧相にムキ出して、見すぼらしく蹲《しゃが》んでいるのであった。東京者ではない、田舎の此辺《ここら》の、しかも余り宜《よ》い家《うち》でない家の児であるとは一目に思い取られた。髪の毛が伸び過ぎて領首《えりくび》がむさくなっているのが手拭の下から見えて、そこへ日がじりじり当っているので、細い首筋の赤黒いところに汗が沸《に》えてでもいるように汚らしく少し光っていた。傍《そば》へ寄ったらプンと臭そうに思えたのである。
自分は自分のシカケを取出して、穂竿《ほざお》の蛇口《へびくち》に着け、釣竿を順に続《つな》いで釣るべく準備した。シカケとは竿以外の綸《いと》その他の一具《いちぐ》を称する釣客の語である。その間にチョイチョイ少年の方を見た。十二、三歳かと思われたが、顔がヒネてマセて見えるのでそう思うのだが、実は十一か高※[#二の字点、1−2−22]《たかだか》十二歳位かとも思われた。黙ってその児はシンになって浮子《うき》を見詰めて釣っている。潮《しお》は今ソコリになっていてこれから引返《ひっかえ》そうというところであるから、水も動かず浮子も流れないが、見る
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