いるのみで、黄茅白蘆《こうぼうはくろ》の洲渚《しゅうしょ》、時に水禽《すいきん》の影を看《み》るに過ぎぬというようなことであった。釣《つり》も釣でおもしろいが、自分はその平野の中の緩い流れの附近の、平凡といえば平凡だが、何ら特異のことのない和易《わい》安閑たる景色を好もしく感じて、そうして自然に抱《いだ》かれて幾時間を過すのを、東京のがやがやした綺羅《きら》びやかな境界《きょうがい》に神経を消耗《しょうこう》させながら享受する歓楽などよりも遥《はるか》に嬉《うれ》しいことと思っていた。そしてまた実際において、そういう中川べりに遊行《ゆぎょう》したり寝転んだりして魚《うお》を釣ったり、魚の来ぬ時は拙《せつ》な歌の一句半句でも釣り得てから帰って、美しい甘《うま》い軽微の疲労から誘われる淡い清らな夢に入ることが、翌朝のすがすがしい眼覚めといきいきした力とになることを、自然|不言不語《ふげんふご》に悟らされていた。
 丁度秋の彼岸《ひがん》の少し前頃のことだと覚えている。その時分毎日のように午後の二時半頃から家を出《い》でては、中川べりの西袋《にしぶくろ》というところへ遊びに出かけた。西袋も今はその辺に肥料会社などの建物が見えるようになり、川の流れのさまも土地の様子も大《おおい》に変化したが、その頃はあたりに何があるでもない江戸がたの一曲湾《いちきょくわん》なのであった。中川は四十九曲《しじゅうくまが》りといわれるほど蜿蜒《えんえん》屈曲して流れる川で、西袋は丁度西の方、即ち江戸の方面へ屈曲し込んで、それからまた東の方へ転じながら南へ行くところで、西へ入って袋の如くになっているから西袋という称《しょう》も生じたのであろう。水は湾※[#二の字点、1−2−22]《わんわん》と曲り込んで、そして転折して流れ去る、あたかも開いた扇の左右の親骨を川の流れと見るならばその蟹目《かにめ》のところが即ち西袋である。そこで其処《そこ》は釣綸《つりいと》を垂れ難い地ではあるが、魚は立廻ることの多い自然に岡釣《おかづ》りの好適地である。またその堤防の草原《くさはら》に腰を下して眸《ひとみ》を放てば、上流からの水はわれに向って来り、下流の水はわれよりして出づるが如くに見えて、心持の好い眺めである。で、自分は其処《そこ》の水際《みずぎわ》に蹲《うずくま》って釣ったり、其処《そこ》の堤上《ていじょう》
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