引氏に渡すと、氏は直《ただち》にそれを予《よ》に逓与《わた》して、わたしはこれは要《い》らない、と云いながら、見つけたものが有るのか、ちょっと歩きぬけて、百姓家《ひゃくしょうや》の背戸《せど》の雑樹籬《ぞうきがき》のところへ行った。籬には蔓草《つるぐさ》が埒無《らちな》く纏《まと》いついていて、それに黄色い花がたくさん咲きかけていた。その花や莟《つぼみ》をチョイチョイ摘取《つみと》って、ふところの紙の上に盛溢《もりこぼ》れるほど持って来た。サア、味噌までにも及びません、と仲直り気味にまず予に薦《すす》めてくれた。花は唇形《しんけい》で、少し佳い香《かおり》がある。食べると甘い、忍冬花《すいかずら》であった。これに機嫌《きげん》を直して、楽しく一杯酒を賞《しょう》した。
 氏はまた蒲公英《たんぽぽ》少しと、蕗《ふき》の晩《おく》れ出《で》の芽《め》とを採ってくれた。双方《そうほう》共に苦いが、蕗の芽は特《こと》に苦い。しかしいずれもごく少許《しょうきょ》を味噌と共に味わえば、酒客好《しゅかくごの》みのものであった。
 困ったのは自分が何か採ろうと思っても自分の眼《め》に何も入らなかったことであった。まさかオンバコやスギ菜を取って食わせる訳にもゆかず、せめてスカンポか茅花《つばな》でも無いかと思っても見当らず、茗荷《みょうが》ぐらいは有りそうなものと思ってもそれも無し、山椒《さんしょ》でも有ったら木《こ》の芽《め》だけでもよいがと、苦《くるし》みながら四方《あたり》を見廻《みまわ》しても何も無かった。八重桜が時々見える。あの花に味噌を着けたら食えぬことは有るまい、最後はそれだ、と腹の中で定《き》めながら、なお四辺を見て行くと、百姓家の小汚《こぎたな》い孤屋《こおく》の背戸に椎《しい》の樹《き》まじりに粟《くり》だか何だか三四本|生《は》えてる樹蔭《こかげ》に、黄色い四|弁《べん》の花の咲いている、毛の生えた茎《くき》から、薄い軟《やわ》らかげな裏の白い、桑のような形に裂《き》れこみの大きい葉の出ているものがあった。何というものか知らないが、菜の類《たぐい》の花を着けているからその類のものだろうと、別に食べる気でも食べさせる気でも無かったが、真鍮刀でその一茎を切って手にして一行のところへ戻《もど》って来ると、鼠股引は目敏《めざと》くも、それは何です、と問うた。何だか知らないのであるがそう尋《たず》ねられると、自分が食べてさえ見せればよいような気になって、答えもせずに口のほとりへ持って行った。途端《とたん》に恐ろしい敏捷《すばや》さで東坡巾先生は突《つ》と出て自分の手からそれを打落《うちおと》して、やや慌《あわ》て気味《ぎみ》で、飛んでもない、そんなものを口にして成るものですか、と叱《しっ》するがごとくに制止した。自分は呆《あき》れて驚《おどろ》いた。
 先生の言《げん》によると、それはタムシ草と云って、その葉や茎から出る汁《しる》を塗《ぬ》れば疥癬《ひぜん》の虫さえ死んでしまうという毒草だそうで、食べるどころのものでは無い危いものだということであって、自分も全く驚いてしまった。こんな長閑気《のんき》な仙人《せんにん》じみた閑遊《かんゆう》の間にも、危険は伏在《ふくざい》しているものかと、今更ながら呆れざるを得なかった。
 ペンペン草の返礼にあれを喫《た》べさせられては、と土耳舌帽氏も恐れ入った。人々は大笑いに笑い、自分も笑ったが、自分の慙入《はじい》った感情は、洒々落々《しゃしゃらくらく》たる人々の間の事とて、やがて水と流され風と払《はら》われて何の痕《あと》も留《とど》めなくなった。
 その日はなお種々《いろいろ》のものを喫《きっ》したが、今|詳《くわ》しく思出すことは出来ない。その後のある日にもまた自分が有毒のものを採って叱《しか》られたことを記憶《きおく》しているが、三十余年前のかの晩春の一日《いちじつ》は霞《かすみ》の奥《おく》の花のように楽しい面白かった情景として、春ごとの頭に浮んで来る。
[#地から1字上げ](昭和三年五月)



底本:「ちくま日本文学全集 幸田露伴」筑摩書房
   1992(平成4)年3月20日第1刷発行
底本の親本:「現代日本文学全集4」筑摩書房
入力:林 幸雄
校正:門田裕志
2002年12月5日作成
2010年2月4日修正
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