ッと横合から顔をつん出して来るやつには弱る、危険千万だ。併し如何に素人でも夜中に船を浮べているようなものは、多少自分から頼むところがあるものが多いので、大した過失《あやまち》もなくて済み勝である。
 人によると、隅田川も夜は淋しいだろうと云うが決してそうでない。陸の八百八街は夜中過ぎればそれこそ大層淋しいが、大川は通船の道路にもなって居る。漁士も出て居る、また闇の夜でも水の上は明るくて陽気なものであるから川は思ったよりも賑やかなものだ。新聞を見ても知れることで、身を投げても死損ねる、……却って助かる人の方が多い位に都の川というものは夜でも賑やかなものだ。尤も中川となると夜は淋しい、利根は猶お更のことだ。
 大川も吾妻橋の上流《かみ》は、春の夜なぞは実によろしい。しかし花があり月があっても、夜景を称する遊船などは無いではないが余り多くない。屋根船屋形船は宵の中のもので、しかも左様いう船でも仕立てようという人は春でも秋でも花でも月でもかまうことは無い、酒だ妓《おんな》だ花牌《はな》だ※[#「虍/丘」、第3水準1−91−45]栄《みえ》だと魂を使われて居る手合が多いのだから、大川の夜景などを賞しそうにも無い訳だ。まして川霧の下を筏の火が淡く燃えながら行く夜明方の空に、杜鵑が満川の詩思を叫んで去るという清絶爽絶の趣を賞することをやだ。



底本:「露伴全集 第29巻」岩波書店
   1954(昭和29)年12月4日第1刷発行
初出:「文藝界 夜の東京號」
   1902(明治35)年9月
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
「※[#二の字点、1−2−22]」は、「々」に書き替えました。
入力:地田尚
校正:富田倫生
2005年1月18日作成
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