、しかもその小さな実生のどうなるのを何時《いつ》賞美しようというのであろう。しかしここが面白いのである、出来た人でなければ出来ない真の楽みを取っているところである。貞徳は公より遥《はるか》に年下である。我身の若さ、公の清らに老い痩枯《やせが》れたるさまの頼りなさ、それに実生の松の緑りもかすけき小ささ、わびきったる釣瓶なんどを用いていらるるはかなさ、それを思い、これを感じて、貞徳はおのずから優しい心を動かしたろう、どうぞこの松のせめて一、二尺になるまでも芽出度《めでたく》おわしませ、と「植ゑておく今日から松のみどりをも猶《なお》ながらへて君ぞ見るべき」と祝いて申上げると、「日のもとに住みわびつゝも有《あ》りふれば今日から松を植ゑてこそ見れ」と、ただ物をいうように公は答えた。
その器《き》その徳その才があるのでなければどうすることも出来ない乱世に生れ合せた人の、八十ごろの齢《とし》で唐松の実生を植えているところ、日のもとの歌には堕涙《だるい》の音が聞える。飯綱修法成就の人もまた好いではないか。
[#地から1字上げ](昭和三年四月)
底本:「幻談・観画談 他三篇」岩波文庫、岩波書店
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